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注意点

この記事は、実際に発生した凶悪事件の犯人について取り扱っております。犯人を賛美する文章・イラストは絶対に掲載しないでください。

事件に関する個人的な見解や、当人に対する感情的な記述については随時編集・削除される可能性があります。

概要

1949年4月26日生まれ。兵庫県神戸市出身。

父の佐川明は、かつて伊藤忠から出向して栗田工業(工業用の純水装置などを製造しているメーカー)の社長を務めていた。弟の純はデザイナーを経て油彩画科に転向し、のちに一政に関するエッセイを出版している。母方の叔父に、歌手の佐川満男(佐川ミツオ)がいる。

和光大学人文学部文学科を経て、関西学院大学大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了、パリ第3大学大学院比較文学専攻修士課程修了。

未熟児で生まれたこともあり幼い頃から体が弱かった。このため両親は過保護気味であり、年子で生まれた弟についても同様であった。また、内向的な性格であり、文学や絵画、音楽など芸術を好んでいた。

幼少期におじから聞かされた「幼い子供を誘拐しては鍋で煮込んで食べる魔法使いの話(弟は『牛を殺して食べる牛飼いの老婆の話』がきっかけと聞いたと話している)」がその後の人生に大きな影響を与え、カニバリズムという特殊性癖を持つに至る。ついには、後述するパリ人肉事件を起こす結果となった。

弟や面識のあった記者などによれば、普段は温厚であったこと、カッとなりやすいところがあったことが語られている。

フランスの首都パリに留学していた1981年6月11日、友人のオランダ人留学生(当時25歳)の女性を自宅に呼び出し、背後からカービン銃で射殺。さらに、衣服を脱がし死姦、その後生のまま死体の一部を食べ、写真撮影のあとフライパンなどで調理、また食べたとされる。

6月13日には残った遺体をスーツケースに収めてブローニュの森の池に捨てようとした際に、目撃されて逃亡。

6月15日に目撃者の通報により逮捕。

フランスの裁判では心神喪失を理由に不起訴処分、無罪となった。

佐川は和光大学在学中にも、人肉食目的で近所に住むドイツ人女性の自宅に侵入、逮捕された(※父親の示した示談金で告訴取り下げとなっている)という経歴がある。

事件後から現在

判決が出た後はフランス国内の精神病院に入院。この時期に事件の映画化企画が立ち上げられ、佐川は唐十郎に依頼を出すも、実際には小説「佐川君からの手紙」として出版された。また、同作は芥川賞を受賞している。

1984年に帰国し、都内の精神病院に入院する。なお、病院側の診断結果は、佐川は人肉食の性癖など一切なく、フランス警察による欺瞞であるというものであった。

退院後、小説を発表しマスコミにも大いに取り上げられる。1989年の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件で宮崎勤が逮捕されたことを受けてからは、凶悪犯罪の犯人であり、事件や犯人の内心を理解できる者とメディアで注目され、コメンテーターとしてワイドショーに出演するようになる。一時期は複数の新聞社で連載を持ち、講演にも出演するなど、アングラサブカルの界隈でタレント的な活躍をしていた。

2001年ごろから仕事が途絶え、闇金に手を出すようになり多額の借金を抱える。

2005年には事件後から長年にわたって佐川をサポートしてきた父親が死去し、その翌日には母親も亡くなっている。両親の遺産で借金を返済したものの、持病が悪化し一時は生活保護を受給していたほどであった。

2000年代以降も作家活動は緩やかなペースではあるものの続けていた。しかし、2013年に脳梗塞を発症し、自力での生活が困難になったため実弟の介護を受けるようになる。

2019年には本人や弟へのインタビューで構成されたドキュメンタリー映画『カニバ パリ人肉事件 38年目の真実』が公開された。

2019年時点では誤嚥性肺炎により長期入院していること、年金を受給していることを弟が明かしている。

2022年11月24日に肺炎のため死去。享年73。訃報は同年12月1日に伝えられた。

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小説家

根本敬…根本が結婚して入居したマンションの近くに佐川が住んでおり、以降佐川が亡くなるまで親交があった。共作もしている。

まんがサガワさん

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