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人物編集

1967年6月10日東京都生まれ。本名は高市由美(たかいち ゆみ)。血液型はA型。実妹は『月刊漫画ガロ』の元編集者で、『アックス』創刊メンバーでもある青林工藝舎の高市真紀。


トロツキスト著述家である高市俊皓の長女として生まれる。父曰く、よく眠る大人しい赤ん坊だったと言う。3歳の時に世田谷区経堂から南多摩郡多摩町(現在の多摩市)の百草団地に転居し、そこで21歳まで育つ。


内気な子供で友達と遊ぶよりも独りで空想したり、絵を描いたり図鑑や絵本を読むことを好んだ。

小学生時代は、父親の影響で赤塚不二夫楳図かずお小林よしのり里中満智子新田たつおジョージ秋山藤子不二雄日野日出志水木しげるらの漫画に熱中。それらの漫画本に貸出カードを作り、「マンガ図書館」と称して友人に貸し出していた。


しかし、中学生になってからいじめに逢うようになり、自傷行為と自殺未遂を繰り返し人間不信に陥る。いじめはその後進学した先の高校でも遭い(これをきっかけに高校を中退している)、こうした暗い経験が彼女の作風に大きな影響を与えた。


妹とは非常に仲が良く、晩年まで公私にわたってサポートを受けていた。


漫画家としての経歴編集

中学生になると講談社の『なかよしまんがスクール』に自作の漫画を投稿するようになる。当時のペンネームは山田ゆうこで、いずれもギャグ漫画であった。

編集部では好評を得るもののなかなか入選には至らず、中学3年生の頃に投稿した『明るい仲間』が『なかよしギャグ漫画大賞』の佳作に入選する。当時のペンネームは裏町かもめ。この作品が翌年1983年に『なかよしデラックス1月号に掲載される。

そして同誌の1983年4月号に実質的なデビュー作となる『大山家のお子様方』が掲載される。

当時は「ひねくれた」ところはあるものの、基本的にはテンポの良いギャグ漫画で、かわいらしいキャラクターデザインと太く柔らかい描画線のシンプルな作風であった。

その後も『人間シンボーだ』を連載。この頃から作風が変化し、徐々に暗くシュールな展開・絵柄となっていった。


『人間シンボーだ』連載終了後、なかよしを離れる。この頃、佐々木マキの漫画を探して『月刊漫画ガロ』を読んだことがきっかけで、いわゆるガロ系の漫画家の作品を読むようになる。中でも特殊漫画家の根本敬に傾倒し、根本にファンレターを送ったことがきっかけで『ガロ』の編集者を紹介され、『ガロ』への投稿を始めた。


1984年、高校を中退し、日本放送協会学園(NHK学園)の通信制高校に編入する。同時に、ペンネームを再び山田ゆうこに改め、漫画投稿を続けた。

1986年には編集に関心を持ち、大検を取得して日本デザイン専門学校に入学。グラフィックデザインについて学ぶ。


1987年、投稿作「人でなし」が『ヤングマガジン』の月刊奨励賞を受賞、同誌で『神の悪フザケ』を連載する。この時にペンネームを山田花子とする。


1989年5月に初の単行本『神の悪フザケ』を講談社より出版、同年8月から念願の『ガロ』でも連載を開始し、それからは同誌を主な活動の場とするようになった。

なお、この頃から妹の真紀が青林堂でアルバイトをしており、『神の悪フザケ』の単行本を当時の編集長に紹介したことが連載のきっかけとなっている。


1990年8月、青林堂より二冊目の単行本『嘆きの天使』が刊行される。この辺りからラジオ・テレビで取り上げられるなど、メディア出演が増え始めるが、一方で漫画を含めた生活に無気力な状態となってしまい、精神的に追い詰められていく。


晩年編集

1991年頃から自分の描きたい漫画を描くためにバイトで生計を立て漫画を趣味にしようと考え、10以上の面接で落とされた結果、同年7月に漫画家であることを隠して喫茶店でアルバイトを始める。しかし、注文が覚えられないなど仕事に上手く馴染めなかった為に解雇された。


解雇後の1992年2月には放心状態でアルバイト先の最寄駅前に佇んでいるところを警察に保護される。また、その翌日に解雇された元勤務先に居座っているところを通報され、実家に引き取られた。

翌月、精神分裂病(統合失調症)の診断により入院。

この頃にはかなり精神的な限界が来ていたようで、実家で錯乱状態になり暴れることもあった。

また、入院直前に『魂のアソコ』を執筆している。


病状は入院生活を通して回復に向かい、再び漫画を描けるようになったほどであった。

しかし、退院した翌日の5月24日夕刻に日野市にある百草団地の11階から投身自殺を図り、死去。享年24歳。


自殺の件は当時、地元の新聞でも以下の内容で実際に取り上げられていた。



団地11階から飛び降り死ぬ

二十四日夜、日野市百草、住宅・都市整備公団「百草団地」一街区五の三で、女性が二階屋根部分に倒れているのを住民が見つけ、一一〇番通報した。この女性は多摩市内の無職A子さん(二四)で、間もなく死亡した。十一階の通路にいすが置いてあり、このいすを使って手すりを乗り越え飛び降りたらしい。(日野署調べ)



自殺の件については、翌年1993年に太田出版より出版され、後に社会現象を起こした『完全自殺マニュアル』(著:鶴見済)の「投身自殺」の項目でも取り上げられている。また、この本を読んで彼女の事を初めて知った人は多い。


根本敬は彼女の自殺について、「実は山田花子は、絶望、絶望、絶望に次ぐ絶望、更に幾つかの絶望を越えた果てに、燦然と輝く桃源郷がある事を予見していた節もあるのだが、生きながらえたままそこに辿り着くには、気力、体力共、余りにしんどかったわけだ」と語っている。


他にも、彼女は自殺の前日に密教の世界観や悟りの境地を表した曼荼羅を無言のまま一時間近く眺めていたという。また、生前は桑田二郎の作品の影響で般若心経に凝っていた時期があった。


遺作は入院中に執筆した『4つ葉のクローバー』。また、真紀とともに鈴木ハルヨ名義で『アーメンソーメン冷ソーメン』を制作しており、日記にも「漫画家・山田花子はセミの抜け殻。詩人・鈴木ハルヨとして再出発する」と綴るなど、制作意欲は最期まで残っていた。


死後の評価編集

彼女の死後、『月刊漫画ガロ』の1992年8月号にて緊急追悼特集が組まれた。根本敬を筆頭に蛭子能収内田春菊花輪和一丸尾末広らをはじめとしたガロ系漫画家だけではなく、竹中直人原マスミ筋肉少女帯大槻ケンヂ電気グルーヴ石野卓球チェッカーズ武内享などと言った漫画業界以外の有名人や、彼女の父親らも追悼文を寄稿した。


親交があった俳優演出家ジーコ内山は、1992年に追悼芝居『魂のアソコ』を上演。 10年後の2002年には、彼女の漫画を原作にした同名の自主映画『魂のアソコ』を構想10年の歳月をかけ製作している。


彼女の墓所は第二南多摩霊園にあり、亡くなってから25年以上が経った今でも、彼女を供養しに訪問するファンらが絶えない。

また、死後には数回に渡って、個人展をはじめとしたイベントが行われたりしている。

作品の特徴編集

スター・システムを採用しており、各作品に定番のキャラクターが登場する。

なかよし時代の作品は、友達のいない子の人付き合いや、人と話したりする時の悩みや苦しみなど不器用な人生を送っている人たちを滑稽に描いた不条理4コマ漫画がほとんどで、「日記まんが」と自称したこれらの漫画群は、漫画家養成専門学校の講師から「ヤマもなければオチもない」と評価されていた。

それに、なかよし時代は丸っこい古典的ギャグ漫画調の画風だが『神の悪フザケ』などでは荒々しくギクシャクした線に変化しており、作品の内容もより深く人間の業や闇を掘り返すような方向に進んだ。

根本敬は、「山田花子は実は絵が非常に上手く、どんな絵でも描ける」と評価している。しかし表面的な絵柄の猥雑さやストーリー展開の不条理さなどから、作品の真価を理解できない者も多かったと見られ、漫画家として順風満帆の歩みだったとは言い難い部分もある。


また、彼女が一貫して漫画に描き続けた共通のテーマは、世の中と人生の不条理と、人間の醜い部分や、彼女自身のような弱者が抱える闇や苦しみなどと言った物だった。


エピソード編集


作品一覧編集

漫画(刊行本)編集

すべて青林工藝舎刊

  • 神の悪フザケ

彼女の代表作にして、初の連載作品。彼女が学生時代に受けていたいじめ経験などが元となっている。週刊ヤングマガジンにて1988年1月から1989年2月まで連載されていた。

  • 嘆きの天使
  • 花咲ける孤独
  • からっぽの世界
  • 魂のアソコ

著書編集

亡くなってから4年後に太田出版より出版された自伝本。彼女の父親も編集に携わっており、彼女の生い立ちと経歴や生前書いていた日記やメモなどをまとめた内容となっており、当時ベストセラーを果たして彼女の名が世間に広く知られるきっかけとなった。

2年後の1998年9月には同社より、読者のコメントや未発見だった日記やメモなども加えて再編集した『自殺直前日記 完全版』が出版され、その16年後の2014年2月には鉄人社より復刻版の『自殺直前日記 改』が出版された。

出演編集

映画編集

関連項目編集

同じ1967年生まれで、同じく自殺したガロ系の女性漫画家。ちなみに自殺した年は、氏が自殺してから6年後の1998年

同じガロ系漫画家の一人。彼女が師匠として大いに尊敬し、大いに影響を受けていた漫画家の一人でもある。

ブロガー、Web漫画家、イラストレーター、ネットラジオ放送主としても幅広く活動していた故人の男性ワーキングプア。彼女を尊敬する漫画家の一人として挙げていた他、彼女の影響を大いに受けていた。

とても厭世的かつ悲観的な考え方の持ち主であった事と、不器用で自己否定的の強い自虐的な人柄であっと事と、幾多ものいじめや挫折などを経験した壮絶な生涯を送ってきた事や、世の中と人生の不条理と人間の暗部や自身のような弱者の悲哀をテーマとした露悪的かつ厭世的な作風の漫画を描いていた事が被る上に、最期はわずか20代前半の若さで自殺という同じ末路を辿った。

また、媒体は異なるものの、亡くなる直前までの数年間に渡って日記を集中的に書き綴っていた事も共通する。

青林堂『月刊漫画ガロ』・青林工藝舎『アックス』の編集者。山田花子の実妹であり、当時は山野一ねこぢるの担当編集者だった。

外部リンク編集

関連タグ編集

故人 ガロ系 月刊漫画ガロ 漫画家 自殺 社会問題 メンヘラ

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