人物
1980年8月13日東京都生まれ。本名は鈴木純(読み:すずき じゅん)。血液型はO型。
インターネット黎明期の1990年代末期に活動していたメンヘラ系ネットアイドル、フリーライター。
3歳の頃に両親が離婚。母親は名古屋で再婚し、一度母親に引き取られて義父らと暮らすが、折り合いの悪さもあって後にイタリアンレストランを経営する父親に引き取られ、父親と二人だけの父子家庭で育つ。
小学校では卒業するまでの間に渡って、いじめや不登校を経験。小学校時代の同級生からのいじめから逃れる為に、地元の中学校へは行かず、私立中学校に進学したが、そこでもいじめを受けた。やがて中学1年生の頃からはリストカットをするようになり、後にはオーバードーズや瀉血と共に晩年まで慢性化していた。
高校3年生の頃に、大学附属病院精神科の閉鎖病棟へ1998年の7月末から10月頭までの2ヶ月間に渡って入院した。
エピソード
- 好きなアーティストとして、Cocco、小谷美紗子、tohko、モーニング娘。、kiroro、SPEEDなどを挙げていた。
- 自身が通う学校のセーラー服を非常に気に入っており、自身のホームページでもその制服姿を公開している。
- 好きな教科としてペン習字を、逆に嫌いな教科として英語を挙げていた。
- ねこぢるのファンで、ぬいぐるみなどのグッズを集めていた。
- 身長は153cmだった。本人としては160cmは欲しかったと言う。
ネットアイドル活動
高校3年生の頃に、薬事ライターである町田あかねのWebサイト上に「精神病と向精神薬に関する体験談募集」に対してメールを送ったところ、その文才が評価されたことから1998年5月から1999年3月まで日々を綴った日記を公開し始める。心に病を抱えた内容を吐露した日記は同好の士を中心に多くの人々から支持を集め、ファンクラブも結成されるまでに至る。趣味の一つのカラオケに友人を誘ってはよくカラオケボックスに出掛けたり、リストカットの衝動を抑えるために献血に精を出していた。
若過ぎる死
高校を卒業してから20日後の1999年3月30日正午頃に、一人でカラオケボックスに入店し、その後3時間の間に向精神薬を大量に服用し昏睡状態で病院に搬送される。蘇生処置をするが、その後死亡。享年18歳。
しかし、本人は薬物に関する知識が十分あり、服用した薬も致死量には満たなかった。その為、本人に明確な死の意思があったかは不明。未だに推定自殺とされているが、司法解剖の結果、日常的に繰り返した自傷行為により、心臓の弁に穴が空いていたことが結果としての死因に結びついた。20歳になったら当時交際していた年上の恋人と結婚する事を約束していたが、彼女の死によって叶わぬ物となった。
死後の影響と評価
当時人気を博していたため、インターネット上では彼女のファンが半ばパニックになり、掲示板ではさまざまな論争が繰り広げられ、多くのファンから、追悼の言葉が寄せられた。葬儀にはファンも参列し、葬儀に行けなかったファンらはネット葬なるものを行った。
彼女は亡くなってから20年が経った今でも、生前の彼女と同じような悩みや生きづらさ抱える人達に共感・支持されており、メンヘラ界隈ではそうした人達のカリスマ像として後世に語り継がれている。
著書
- 『卒業式まで死にません』新潮社 2004年2月発売
亡くなってから5年後に発売された自伝本。
町田あやのホームページに掲載されたブログがベースだが、すべて掲載されていない点には注意。
精神的に不安定なときには絶対読まないこと
関連項目
ボカロPの一人。彼女を題材にした「南条あやになれなくて」を作曲した。
外部リンク
※Webアーカイブ。本サイトは2008年頃に閉鎖している。