概要
明治19年7月20日生まれ、明治36年5月22日没。北海道出身。旧制第一高等学校(今の東京大学)の学生。なお、旧制高校の学生は今の(新制)高校生とは別物である。
栃木県上都賀郡日光町(現在の日光市)華厳滝で投身自殺し、死に際に『巌頭之感』(後述)という遺書を残したことで有名になり、華厳滝が自殺の名所になるきっかけとなった。
当時英語教師だった夏目漱石の教え子であり、彼から自身の英文学の考え方に難癖をつけられ苛烈に叱られていた。そのことで自殺したとされ、漱石もこのことを後悔し持病の悪化の一因にもなったという。自殺の原因については失恋説も挙げられたが、後年の研究によって否定されている。
なお、親族はさまざまな公職や実業についた人材を輩出した名家である。
巌頭之感
悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小軀を以て
此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
我この恨を懷いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巖頭に立つに及んで、胸中何等の
不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
大なる樂觀に一致するを。