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津田恒実の編集履歴

2017-04-30 07:37:39 バージョン

津田恒実

つだつねみ

津田恒実とは、かつて広島東洋カープで活躍した元プロ野球選手。投手。右投右打。

概要

1960年8月1日生まれ。山口県出身。愛称は「ツネゴン」。座右の銘は『弱気は最大の敵』。


社会人野球の協和発酵から、1981年ドラフト会議広島東洋カープに1位指名を受け、入団。


1年目の1982年には先発投手として11勝をあげ、新人王に輝くが、2年目以降からは怪我に悩まされ、登板機会が減少していった。


だが、1986年に抑え投手に転向すると、150キロを超える剛速球と縦横に曲がるカーブを武器に活躍。この年、広島はセ・リーグ制覇を果たした。

剛速球を武器に敢然と打者と勝負するその姿から「炎のストッパー」と呼ばれていた。


1990年のシーズン終了後から頭痛をはじめとする体の変調を訴えるようになり、成績も落ちていった。精密検査を受け、脳に悪性腫瘍があることが判明。

1991年に闘病生活に入るため、現役を引退。一時は快方に向かっていたものの、1992年を境に病状が悪化。1993年に32歳の若さで死去した。


死後、広島市民球場には『津田プレート』と呼ばれるメモリアルプレートが設置され、カープの本拠地がマツダスタジアムに移転後プレートも移設された。


2012年1月12日、北別府学と共に野球殿堂入りした。


伝説


原辰徳は現役時代、津田との対戦で一度腕を骨折している。それは津田の剛速球が腕に当たって骨折したのではなく、津田の剛速球をバットで捉えた原が球を打ち返そうとした際、そのあまりのパワーに原の握っていたバットが吹っ飛び、原は腕を捻ってしまったというもの。(山崎武司はその球の威力を「一言で言えばミサイル」と証言している。)

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