CV:広瀬すず
「忘れないで…私たち、いつだってたった一人で戦っているわけじゃないんだよ」
概要
渋谷の進学校に通う女子高生で、蓮(九太)が再び人間界に戻ってきたとき図書館で出会う。
幼い頃から両親によって勉強を強いられていたため友人に恵まれておらず周囲からは半ば軽蔑されているが、本人は仕方ないとその現状を受け入れつつあった。そんな中、人間とは対を成す存在である「バケモノ」の世界で育った人間・蓮と出会い、9歳のまま知識や学力が止まっていた彼に対して、勉強を教えることによって人間界への関心を再燃させていく。そして蓮と親交を深めるうちに、次第に自分の気持ちに素直に向き合うようになる。
右の手首にはお守りとして幼少期に読んでいた本のしおりとして使っていた赤い紐を付けており、中盤で蓮がとあることから情緒不安定になった際には励ましとしてそれを手渡している。また勤勉の賜物か、判断力と推察力に長けている節があり、終盤ではそれを活用して一郎彦と戦う九太をサポートした。ちなみにpixivでのイラストはないものの、勉強時は赤い額縁の眼鏡を着用している。
劇中で本格的に関わるのは中盤だが、物語冒頭でも多数のモブに混じって幼少時の彼女と思われる少女が母親と思われる人物に手を引かれる形で登場している。
なお、モブを除いた登場人物の中では唯一の女性キャラである関係上事実上の本作のヒロインポジションと言える立ち位置だが、劇中では九太を大いに慕ってはいるものの彼に恋愛的な好意を抱いている明確な描写はなく、寧ろパートナーとしての役回りが強い。
余談
劇中で大きな悩みに直面した九太を支え、最終的に彼にとって変え替えのない人物の一人となった楓だが、実は観客の間ではネットを中心に彼女の存在を不必要と説く意見が数多い。賛否両論が多いことで知られる本作ではあるが、この否定的な意見については否定派は勿論、肯定派の観客ですらこの意見に同感するものが少なくないため、いかに彼女の存在が観客の間で物議を醸しているかが伺える。
一応彼女は期せずして人間界に迷いこんでしまった九太に対し、勉強を教えることによって彼に人間界への関心を持たせ最終的に人間界で暮らすという決断を下す重要な役割を担うわけだが、その切っ掛けとなるシーンを楓視点で起承転結にまとめて見直すと、「自身を嫌う不良高校生たちに絡まれ集団リンチを受けそうになる→九太の介入によってその窮地を脱する→駐車場で九太と話すうちに彼が無学であることを知る→そんな九太に対し勉強を教えることを提案し、彼がそれに同意する」、というのが大まかな流れである。
しかしそれまでの話を流れを見ればわかるが、楓と九太はこの時点まで一切面識がなく、それを鑑みると彼女のその行動は冷静に考えて不可解極まりない。そもそも九太が無学と聞いて勉強を教えるという発想に行き着く楓の思考も疑問である。
また終盤での九太と一郎彦の死闘の際には、必死に楓に逃げるよう呼びかける九太に対し、暴走する一郎彦に立ち向かおうとする九太の手を掴んで離そうとしなかったり、一郎彦の前に出てきて叱咤をするなど、側から見れば完全な妨害行為としか言いようのない行動をしている。
その他にも、小説版ではいつも同じ服しか着ない九太に対し、「衣替えしなよ」と称して彼に自腹でおニューの服を購入させている。余計なお世話だ(なお、映画本編ではこのシーンは台詞なしの断片的な描写に留まっている)。
以上のように、彼女はよくよく見れば完全に不審かつ不可解と捉えようがない謎の行動を連発している。これでは肯定派否定派問わずいらない子呼ばわりされるのも無理はない。正に近年ネットで議論されている『ヒロイン役立たず論』の典型的な例と言えよう(『ヒロイン』の記事も参照)。
ただし彼女の名誉のためにフォローすると、楓は九太と出会うまでは両親含め誰一人として他人に気遣われた経験がなく、彼女を気遣った人物は事実上九太が初めてであったため、それを踏まえると彼女が九太に親しみを持ち彼に勉強を教えるのも多少唐突かつ不自然であれ致し方ないと言える。
終盤の妨害行為も、九太との交流を通して一人だけでは強くなれないことを実感し、自らがそばにいることによって彼に孤独感を感じさせないという彼女なりの応援であり、且つ初めて親しく感じ自身にとって掛け替えのない存在である九太が、一郎彦との戦いで命を落とすことを察した故の行動であるとも伺える。実際九太は一郎彦を自身の胸に取り込み、そこを剣で突き刺すという自殺行為で一郎彦の暴走を食い止めようとしていた。またこの時点まで楓はバケモノや「闇」の存在を知らず、当然暴走した一郎彦を止められるのも九太のみであるという事実も把握のしようがなかった。彼女から見れば九太は親しいとはいえ一人間に過ぎず、その彼が下手をすれば世界を滅亡に追いやるほどの強大な力を持つ一郎彦と闘うとなれば楓視点からしてそれこそ自殺行為も同然である。そのため九太を一郎彦と戦わせようとしない彼女の行動はあくまで詳しい事情を知らず且つ大切な人を失いたくないゆえのものであり、決してミーハー的等の軽率な思考でしている訳ではない。
また中盤〜終盤にかけての渋天街の次期宗師を決める闘技試合においては、九太が一郎彦によって熊徹に重傷を負わせられたことに激昂して一郎彦を惨殺しようとするも間一髪のところで我に帰れたわけだが、それは上記の通り彼女が九太に託したお守りが彼の心に共鳴したためである。
他にも九太と一郎彦の決戦では、一郎彦が強大な闇の力を用いて暴走する故に人混みが多い渋谷では思うように戦えず閑散とした場所を探す九太に対し、持ち前の判断力と推察力を以って彼をサポートし、最終的に人通りの少ない閉館後の代々木体育館へ行き着きそこを決戦の舞台に定めることに成功している。もし彼女のサポートがなければ、そのまま二人の戦いによって渋谷に多大な被害を及ぼした可能性は十分考えられる。
このように以上の擁護論を鑑みて、楓は厳密に言っても物語に於いて言うまでもなく必要な存在ではあることが伺えるが、いずれにせよ彼女の存在は本作の賛否両論が激しい最大の原因の一つであることは言うまでもない。