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大黒坊弁慶の編集履歴

2017-10-15 10:37:40 バージョン

大黒坊弁慶

はなあらしことだいこくぼうべんけい

大黒坊弁慶は、日本の元プロレスラーで元力士。現・大日本プロレスのスタッフ。(メイン画像は力士廃業後に演じた『超人機メタルダー』のヨロイ軍団中闘士フーフーチュウ)

和歌山県日高郡由良町出身。

身長190cm、体重150kg(力士時代は身長187cm、体重158kg)

大相撲時代のしこ名は小谷 一美(こたに かずみ、本名)⇒羅紗王(らしゃおう)⇒和歌ノ洋(わかのなだ)⇒花嵐(はなあらし)


中学時代は柔道をやっていたが高校進学時に相撲を始めた。

大会での活躍が目立ったことで相撲部屋の誘いもあったが恩師の勧めで日本大学に進学。

大学4年時に全国学生相撲選手権大会で優勝したことをきっかけに大相撲に進み、花籠部屋に入門。

1980年3月場所に幕下付出で初土俵を踏むが、幕下生活が長く、1984年3月場所に十両に昇進するも今ひとつ勝てず十両在位は3場所に終わった。

1985年末に師匠の花籠親方(横綱・輪島大士、日大相撲部の先輩で後にプロレスラー、タレント、アメリカンフットボールチームの総監督も務めた。)が金銭トラブルのため廃業、自身も1985年11月場所限りに28歳で廃業した。

その後役者としてテレビ番組『超人機メタルダー』や映画『ファイナルファイト 最後の一撃』にも出演もした。(その後2003年にドラマ『池袋ウエストゲートパーク』に出演。)

1990年代、プロレス団体WAR(1992年に天龍源一郎を中心に設立)に登場したチームである相撲軍団に覆面レスラー「嵐」(初代)として参加。

1994年、WARの所属選手であった石川敬士(日大相撲部、花籠部屋の先輩でもある)が離脱、と新団体・東京プロレスの立ち上げを表明すると、同団体に参加、リングネームも「ダンク・タニ」と改名。

1995年、ザ・グレート・カブキが東京プロレス参戦、カブキとタッグを組みリングネームを「大黒坊弁慶」に改名。タッグチーム「幻僧戦士団」として活動した。

団体崩壊後新東京プロレス、IWA・JAPANに参戦、その後大日本プロレス所属として活動し同団体のヘビー級ベルトを長期保持するなど重鎮として活動。

2012年に関節などの悪化による手術を行い以降は長期欠場していたが、2014年引退を表明。

欠場中からスタッフとして売店に立ち、現在も立っている。

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