ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリの編集履歴

2018/02/02 19:51:32 版

編集内容:内容を追記

センシティブな作品
  1. 平安時代刀工・三池典太光世により作られたとされる日本刀この項目で記述する。
  2. 1の刀剣をモチーフに擬人化した、ブラウザゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』に登場する刀剣男士。→ソハヤノツルキ(刀剣乱舞)

概要

妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリは、平安時代末期から鎌倉時代筑後国の刀匠三池典太光世作と伝わる日本刀(太刀)。

刃長67.9cm、元幅3.9cm、先幅2.8cm、反り2.5cm。

生ぶ無銘であるものの茎の裏に「妙純傳持ソハヤノツルキ」、表には「ウツスナリ」と切付銘が刻まれている。この切付銘は室町時代のものと考される。

なお、古文書同様に濁点を省略していると考えられるため「そはやのつる」とも呼ばれる。

切付銘の謎

茎に刻まれた切付銘(銘文)をそのまま解釈すれば妙純が所持したと伝えるソハヤノツルギの写し刀となる。

‎ ただし定説はなく、史料に乏しいため意味不明とされている。

妙純傳持

室町時代中期の美濃国守護代斎藤利国の入道名が妙純であることから、斎藤妙純が所有したのではないかとされる。

妙純を慕った者が妙純傳持と切付銘を刻んだと考えられている。

ソハヤノツルキ

ソハヤノツルキは後述のウツスナリから写し刀とされているが、本歌となるソハヤは複数の説がある。

田村麻呂が日本三大妖怪鈴鹿山大嶽丸を斬ったことで有名な騒速の写しとする説が一般的である。上記三説のうち、唯一現存が確認できる。

ソハエの剣の写しとする説は、ソハエはソハヤの転化であるとしている。八剣は天叢雲剣草薙剣、東夷討取の剣、十拳剣、人母鬼の剣、鬼討取の剣、楚葉矢の剣、矢尻の笹穂型の槍とされる。

ただし天叢雲剣と草薙剣と同一の剣であり、草薙剣は熱田神宮に祀られているため八剣自体が創作の可能性もある。

なお坂上宝剣の写し説や黒漆剣の写し説もあるが、これらは誤説である。

騒速が知られる以前に坂上宝剣がソハヤであると刀剣書で紹介されたことから、騒速と坂上宝剣が同一の剣として広まったものと思われる。

また、田村麻呂の大刀として鞍馬寺の黒漆剣のみが知られていた事から、黒漆剣がソハヤであると誤解もされた。

ウツスナリ

ウツスナリの意味についても様々な説がある。

  • 刀身は鎌倉時代のものとされるが、切付銘(銘文)の書体は室町時代以降のものとされる事から、後から名前だけ写したという説
  • 三池光世の時代に写しという文化があったとは考えられていないため、光世がソハヤと呼ばれる刀をイメージして製作した説

前者の説は、ソハヤノツルキの作者は従来通り光世とされる。

後者の説は、光世作のソハヤノツルキと呼ばれた太刀を、斎藤妙純が和泉守兼定(之定)に写させたものではないかとしている。この場合、光世作のソハヤノツルキは熱田神宮のソハエの剣とされる。

光世説、之定説ともに光世がソハヤノツルキを製作している点は共通している。

家康の遺愛刀

伝来は不明であるが徳川家康の手に渡ると、家康は行光作の脇差と揃えでソハヤノツルキウツスナリを愛刀とした。

大坂の陣で豊臣家を滅ぼした家康は、徳川幕府を脅かす者がいるとすれば西国にあるとして、この太刀を自らの依り代として久能山東照宮にて切っ先を西に向け安置するよう遺言したという。

関連タグ

刀剣

関連記事

妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリの編集履歴

2018/02/02 19:51:32 版

編集内容:内容を追記