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騒速

そはや

日本刀が誕生する兆しの名刀にして、資料価値は極めて高い。坂上田村麻呂の兵仗用の佩刀。田村将軍が鈴鹿山の鬼神退治に用いた、鬼切りの大刀。坂上田村麻呂伝説では聖剣としての性質を持つ。
目次 [非表示]
  1. 伝説上の将軍・坂上田村麻呂が所持する愛刀。 ⇒ ソハヤノツルギ
  2. 1.の逸話に仮託した大刀。この項で説明

概要

平安時代征夷大将軍としても高名な大納言坂上田村麻呂兵庫県加東市にある清水寺に差添2口とともに奉納したと伝えられる兵仗用大刀。騒速の剣、側速、田村丸剣太刀とも。

種類は平安時代中期以降に登場する反りのある湾刀を指す「刀(たち)」ではなく、上古刀にみられる片刃の直刀を指す「刀(たち)」の表記が用いられる。また「剣太刀(つるぎたち)」は鋒両刃造の別称。

所蔵する清水寺の寺伝では「桓武天皇の頃に征夷大将軍坂上田村麻呂が丹波路より播州清水寺に参拝し、聖者大悲観音の加護を得て陸奥国悪事の高丸を討ち、鈴鹿山鬼神を退治した。その感謝として佩刀の騒速と、副剣二振りを奉納した」という。


解説

現在は「大刀 三口、附 拵金具 十箇」として、3口の大刀と10個の拵金具の合わせて13点が国の重要文化財に指定されている。

3口の大刀のうち、騒速と呼ばれる大刀が特定されていないことから切刃造の大刀を「一号大刀」、鋒両刃造の大刀をそれぞれ「二号大刀」「三号大刀」としている。


  • 一号大刀 - 全長64.1cm、刃長52.4cm、反り0.4cm。切刃造。丸棟。茎は両マチ、目釘穴は1箇所。
  • 二号大刀 - 全長66.4cm、刃長52.4cm、反り0.3cm。鋒両刃造。丸棟。目釘穴は1箇所。
  • 三号大刀 - 全長57.7cm、刃長48.5cm、反り0.3cm。鋒両刃造。丸棟。目釘穴は腐蝕により不明。

3口の大刀はいずれも奈良時代末期から平安時代初期に製作されたとみられる。播州清水寺所蔵、東京国立博物館保管。

平安時代中期に切刃造の直刀→古太刀→在銘太刀と直刀から彎刀へ移り変わる過渡期の作であることから、日本刀が誕生する最初の兆しの名刀とされ、日本刀の原像として資料価値は極めて高い。


来歴

『清水寺文書』に「田邑将軍佩刀二腰納本堂給」とある。文書が記された文正元年(1466年)には、清水寺に田村麻呂と関連づけられた2口の大刀が存在していたことが判明している。この2口の大刀が一号大刀、二号大刀、三号大刀のいずれかは特定されていない。


『集古十種』には「田村丸剣太刀」として3口の絵図が記載されていることから、文正元年から寛政2年(1800年)の間に現在と同じ3口1具の大刀となっていたようである。


『播磨国賀東郡御嶽山清水寺之記文』には以下のように記される。


霊寳

一、佩刀 二振 利仁将軍奉納本堂

一、鈴鹿山鬼神 退治之太刀一振

        田村将軍奉納本堂


利仁将軍とは、平安時代中期の鎮守府将軍・藤原利仁、もしくは伝説上の将軍・坂上田村丸利仁を指すものと思われる。田村将軍が奉納した鈴鹿山の鬼神退治の太刀とされていることや、利仁将軍の名前がみえることから、坂上田村麻呂伝説における田村丸将軍の聖剣ソハヤノツルギ」の逸話に仮託した大刀として認識されていたことがわかる。

同様の記述は『播磨鑑』でもみられることから、江戸時代にはこのような話が流布していたようである。


明治時代以降は本堂の裏廊下に「坂上田村麿の奉納という騒速の剣」としてひっそりと置かれていたことが、寺院巡礼関係の書籍で紹介されている。日の目を見るのは昭和の終わり頃、播磨の愛刀家からその重要性が指摘されると、昭和56年(1981年)に東京国立博物館刀剣室の刀剣研磨師によって慎重に研磨され、地元播磨の鞘師によって保管用の鞘が仕立てられた。

昭和56年6月9日の重要文化財指定以降は油漬けで保管されていたが、平成29年(2017年)に清水寺33年に1度の秘仏ご開帳に併せ一号大刀と二号大刀が里帰りして特別展示され、令和2年に京都国立博物館で開催された特別展「聖地をたずねて-西国三十三所の信仰と至宝-」に一号大刀と二号大刀が貸し出された。


逸話

安綱作

応永30年(1423年)に書写された刀剣書『銘尽』では、安綱の作として「田村将軍そは矢の剣 作上手也」との記述がある。

定説では平安時代中期の人物とされる安綱は、平安時代初期の人物である田村麻呂と活動していた時期が合わない。『太平記』巻32「直冬上洛事付鬼丸鬼切事」に鬼切は安綱が鍛え、田村麻呂が鈴鹿御前との戦いに用いたとあり、この記述を元にして田村麻呂の刀は安綱作であるとされたのだろうか。

『太平記』における宝剣継承譚は後世の絵巻や室町物語(御伽草子)に多大な影響を与え、ソハヤノツルギの逸話や血吸(童子切安綱)の来歴に引用された形跡がある。


天下の「鬼切りの大刀」

田村麻呂が騒速で切ったという鈴鹿山の鬼神として、日本三大妖怪の一角に数えられる鈴鹿山の大嶽丸の名前が挙げられる。御伽草子『田村の草子』ではソハヤノツルギで大嶽丸の首を刎ねている。物語の系統によっては大嶽丸が黄泉還るため2度も刎ねる。

奇しくも源頼光が日本三大妖怪に挙げられる大江山酒呑童子の首を刎ねた逸話に仮託した童子切安綱と同じ東京国立博物館で保管されている。


余談

上記のとおり、騒速の来歴は御伽草子『田村の草子』などに登場するソハヤノツルギの逸話に仮託された事が明確である。一方では、ソハヤノツルギと称されるものが複数伝わるとの俗説も広まっている。

坂上田村麻呂を主祭神とする神社の総本社である滋賀県甲賀市の田村神社の重宝に楚葉矢の御剣(そはやのみつるぎ)がある。混同されやすいのだが、騒速と楚葉矢の御剣は個別の刀剣である。この楚葉矢の御剣について書かれた史料には、御伽草子『田村の草子』に登場するソハヤノツルギの逸話に仮託した形跡はない。

また一部では京都市左京区にある鞍馬寺所蔵の黒漆剣(こくしつけん)をソハヤノツルギとする説もみられる。しかしながら鞍馬寺では黒漆剣をソハヤノツルギとはしておらず、そのような史料もないことから取るに足らない俗説であり、黒漆剣をソハヤノツルギとするのは間違いである。


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妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリ

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