概要
陸奥国の伝承に現れる悪路王、赤頭、高丸を指して奥州三鬼ともされる。
作品によって悪事の高丸、近江の高丸、明石の高丸とされる。また安倍高丸と同一視されることもある。
来歴
古くは諏訪大社の縁起に高丸の名前が登場する。
宝治3年(1249年)成立の『諏訪信重解状』「当社五月会御射山濫觴事」では、諏訪大明神の利生譚として五月会と御射山祭の由緒の中で田村丸による高丸討征が記述される。
『諏訪信重解状』から約100年後に成立したとみられる『神道集』巻第四「信濃鎮守諏訪大明神秋山祭事」「諏訪大明神五月会事」では、五月会と御射山祭の由緒が分離している。
「信濃鎮守諏訪大明神秋山祭事」では、秋山祭(御射山祭)は稲瀬五郎田村丸が奥州の悪事の高丸を諏訪大明神と住吉大明神の助力によって討伐する話として記述される。
一方「諏訪大明神五月会事」では、五月会の由緒が鬼王官那羅から青葉の笛を奪った在原業平が光孝天皇に笛を献上すると、官那羅は帝に怨をなし、討伐の命を受けた満清という者が諏訪大明神と熱田大明神の助力によって浅間嶽で官那羅を討伐する話に変化している。
『諏訪信重解状』では五月会の由緒は田村丸による鬼王退治であったが、100年後の『神道集』では清満による鬼王退治へと登場人物ごと変化していることが確認出来る。
『神道集』を記すにあたり、『諏訪信重解状』「当社五月会御射山濫觴事」での五月会と御射山(秋山祭)の由緒をあえて分割して、御射山祭の由緒は古くからの田村丸の物語に『鈴鹿の草子(田村の草子)』を混ぜ合わせて稲瀬五郎田村丸を主人公とし、五月会の由緒では新たに清満という人物を創作して田村丸から置き換えた上で物語を再構築したと考えられている。
物語の中の高丸
『神道集』「信濃鎮守諏訪大明神秋山祭事」
桓武天皇が奥州の悪事の高丸追討を、元は震旦国の趙高の兵士で、日本へと渡来してきた稲瀬五郎田村丸に命じた。
田村丸が清水寺の千手観音に祈願すると「鞍馬寺の毘沙門天は我が眷族であるから頼れ。奥州へ向かう時は山道寄りに下れ。そうすれば兵を付き従わせよう」とお告げがあった。
鞍馬寺に参拝して多聞天・吉祥天女・禅尼師童子に祈願すると、毘沙門天より堅貪(けんどん)という三尺五寸の剣を授かった。また、山道を進軍すると信濃国諏訪大社で二人の武将を得た。
高丸との戦いの時に田村丸が堅貪を鞘から抜くと、剣は自ら高丸に切りかかり首を落とした。
田村丸は上洛して高丸の首を宇治の宝蔵に納め、清水に大きな御堂を造営した。
- 1249年の『諏訪信重解状』では坂上田村丸としているが、100年ほど後の『神道集』では稲瀬五郎田村丸と変化していることから、お伽草子『鈴鹿の草子(田村の草子)』の稲瀬五郎俊宗を採り入れたものと考えられる。
- 『壬生家文書』「坂上田村麻呂勘文」にいなせの五郎、坂上利宗となのるとあることから1486年には『鈴鹿の草子』が成立していたことが判明しているが、『神道集』が『鈴鹿の草子』から物語を吸収したのであれば、『鈴鹿の草子』の成立時期が1486年より100年ほど早まることになる。
- 高丸の首を宇治の宝蔵に納めたとしていることも、『神道集』が『鈴鹿の草子』で鈴鹿山の大嶽丸の首を宇治の宝蔵に納めたという記述から影響を受けて改変された証拠のひとつとなる。
- 稲瀬五郎田村丸が鞍馬山の毘沙門天から剣を授受される場面は、鞍馬寺縁起の藤原利仁の物語が吸収されたためと考えられる。
『鈴鹿の草子(田村の草子)』
お伽草子『鈴鹿の草子(田村の草子)』では、鈴鹿山の大嶽丸の次に討伐を命じられたのが近江の高丸となる。
坂上田村丸俊宗(稲瀬五郎坂上俊宗)が「火界の印」で高丸の居城内を焼くも、高丸は雲に乗って信濃国、富士山、外ヶ浜と逃れ、最後は筑羅が沖で田村丸と鈴鹿御前に討たれた。
高丸の討伐後に天竺から陸奥国霧山に大嶽丸が黄泉還る。
『田村三代記』
奥浄瑠璃『田村三代記』では近江国蒲生が原の明石の高丸(赤石の高丸)として登場。
鹿島の浦へと追われ、最後は筑羅が沖の大輪が窟で坂上田村丸利仁と立烏帽子に討たれた。高丸の首は備前国に埋葬されて吉備津神社が建てられた。
高丸討伐後に陸奥国達谷窟に大嶽丸が現れた。
関連キャラクター
『鬼切丸』
⇒竹丸
『Fate/EXTRA CCC FoxTail』
関連タグ
贄符「御射山御狩神事」:東方風神録にて、八坂神奈子が使用したスペルカード