概要
だいたい男性器の風貌で祭られ、8歳の少年を依り代にするとも謂われている。
諏訪大社のお祭りが有名で、諏訪湖の氷が裂けるという『御神渡り』もタケミナカタではなくこの神が渡っているとする見方もある。
古代日本列島人の人々、天孫降臨時代や倭国大和大君時代(大和王権)が存在する前からの列島人の崇拝対象だったとされるが、具体的な発祥は未だに不明。
諏訪の外からやってきたタケミナカタに敗北して祭神を下ろされた土着神とも、タケミナカタそのものがミシャグジ様の一種だともいわれている。
東日本全体で信仰されていたと思われ、地方によって信仰形態も異なっている。
日本文化が日本列島に定着しても、口伝などで変遷しながら脈々と伝え得られる。
男性器を思わせる大蛇や龍神の姿で描かれるが化神を多く持つ神であり、一つ目小僧やかまいたちもミシャグジ様の仮の姿であると言われている。
人身御供
古代の諏訪社では神のために人の命を捧げる人身御供が行われていた可能性があるといわれている。一年神主としての『大祝(おおはふり)の殺害』が主に有名なようだが、他にもいくつかの伝承がある。
旅行家・菅江真澄が1784年に諏訪を訪れ御頭祭などを見て書き残した『すわのうみ』の中に、『御贄柱』と縛り付けられる大祝の少年のことが書かれている。
しかし、それさえもすでにかなり近代化した祭事だったようで元がどのような形式だったのかはわからない。
少年好きの神様
ミジャクジ様の儀式に共通するのが人身御供や人柱と呼ばれる者に選ばれるのが、未成年の少年だったということだ。
日本各地の昔話や伝説を見る限り、人身御供に選ばれるのは未成年の女子である例が圧倒的に多いため諏訪社は珍しい例だといえるかもしれない。
また日本のシャーマンといえば巫女やイタコなどに見られるように、女性であることが一般的だが、諏訪社で一年神主としてシャーマン役を果たしていたといわれるのが少年という点も同じく珍しいと言えるだろう。
逆にいえば少年は生神としての崇拝対象にされるだけの者だった可能性もある。
また大祝(おおはふり)という呼び名だが、もともとハフリとは神職の一種を指す言葉である。そしてハフリには別に”葬り”という意味もある。
神の移し身として即位した生神(少年)を殺し葬り、祝いの祭事で奉り神へ昇華させる意味を大祝という言葉は含んでいたのかもしれない。
余談だが旧約聖書にこの祭りとよく似た出来事が描かれている。
フィクション作品におけるミシャグジ様
『東方project』、『女神転生シリーズ』に登場するミシャグジ様については「ミシャグジさま」を参照。
また、18禁作品ではでぼの巣製作所の神楽シリーズに何回か登場しており、その姿は“龍の翼を持つ白蛇”で性格はかなりの女好き。
ヒロインとの「敗北シーン」も用意されている。
その他、とり・みきの『石神伝説』、永久保貴一の『カルラ舞う!』『御石神落とし(作画:増田剛)』、星野之宣の『宗像教授異考録』などの伝奇漫画でも登場しており、それぞれの解釈により大きく扱われている。
発音について
民俗学者・柳田國男の著作『石神問答』において、柳田自身が地元である武蔵野の祠・摂社等に祀られた石棒や石皿を神体とする神が“シャグジ”“シャクジン”“シュクジ”等の類似する名で呼ばれ、さらに全国各地にも同音の地名や神が点在することを取り上げている。
柳田國男はシャグジの名を音韻に分解して、「サ行音」と「カ行音(ク)」または「ガ行音」の組み合わせで構成されているという共通点を見出している。
地形や先端・境界線を表現する言葉に頻出する「サ行音」に「カ行音」が結合すると遮る、塞ぐという“境界性”を持つ言葉になり、シャグジは空間や境界に霊威を表す言葉と解釈している。例を上げれば、「さえのかみ」も“さえぎる”という言葉からきており、さえぎるの語根は遡れば「さききる(先切る)」に至る。
幸神・妻神・歳神・才神などの字をあてて「さえ(さい)のかみ」とも読むが、読みが“さい”に転化する幸は言うに及ばず、“才(ざえ)”の字を含む才神の読みでも発音に濁点がつくことはない。そして諏訪大社の縁起や各地の“シャグジ”神の読みも最初のサ行音が「ザ」に変化することはない。