1.の概要
1.の概要
鈴鹿山脈のうち、現在の三重県亀山市と滋賀県甲賀市の境に位置する三子山と高畑山の間の鞍部にある鈴鹿峠とその周辺の山々を総称して鈴鹿山と呼んでいた。
仁和2年(886年)に光孝天皇第4皇女・繁子内親王が23代目の斎王になったのを契機として、加太越の倉歴道に替わって鈴鹿越の阿須波道と名付けられた鈴鹿峠を越える新道が開通して以来、中世から近代にいたるまで畿内と東国を結ぶ東海道として広く利用されていた。
多津加美坂から始まる鈴鹿山の8丁27曲がりは鈴鹿の険といわるほどで、箱根峠と並ぶ東海道の難所であった事から峠越えのために土山宿・坂下宿・関宿の3ヵ所の宿場が置かれた。
2.の概要
2.の概要
和歌などに登場する鈴鹿山は伊勢国の枕詞である。主に鈴鹿峠や鈴鹿越の道程を指し、鈴鹿山を詠んだ歌の大半は鈴鹿関を越える心境を詠んだものである。
修辞として鈴という言葉から鈴は振るもののため「ふる」「ふり」が縁語として使われる。また鈴を振ると音が鳴ることから「なる」「なり」が同音異義の「成る」として掛詞に使われる。