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黒漆剣

くろうるしのつるぎ

征夷大将軍坂上田村麻呂の佩刀と伝わる大刀(直刀)。
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概要

黒漆剣(くろうるしのつるぎ)とは、征夷大将軍坂上田村麻呂京都鞍馬寺に奉納したと伝えられる大刀(直刀)である。黒漆大刀とも。
なお黒漆刀との誤記もみられるが、正しくは黒漆刀である。少々ややこしいが黒漆剣は直刀のため、弯刀を指す太刀(たち)ではなく直刀を指す大刀(たち)が用いられる。
1911年(明治44年)に旧国宝に指定され、現在は「黒漆剣/〈(寺伝坂上田村麻呂佩剣)〉」として重要文化財に指定されている。

黒漆剣は鞍馬寺の由緒を綴った『鞍馬蓋寺漢文縁起』にも記されておらず、口承でのみ「坂上田村麻呂が鞍馬寺に戦勝祈願に訪れ、無事に凱旋したため奉納した大刀」と伝わるのみである。
『神道集』巻4「信濃鎮守諏訪大明神秋山祭事」には、鞍馬寺の大刀と坂上田村麻呂の説話が残されている。

桓武天皇の頃に奥州で悪事の高丸が人々を苦しめたため、帝が田村将軍に高丸討伐を命じた。将軍は清水寺千手観音に願掛けをすると、七日目の夜半に「鞍馬寺の毘沙門天は我が眷族であるから頼れ。奥州へ向かう時は山道を下れ。そうすれば兵を付き従わせよう」とのお告げがあった。
将軍がお告げの通りに鞍馬寺に参拝すると毘沙門天より三尺五寸の堅貪(けんどん)という名の剣を授かった。また、奥州へ山道を進軍すると信濃国諏訪大社で二人の武将を得た。
高丸との戦いの時に将軍が堅貪を鞘から抜くと、剣は自ら高丸に切りかかり首を落としたという。二人の兵の助力も得た将軍は、こうして高丸討伐を成功させたという。

刀身

刀身は切刃造の大刀(直刀)で、地鉄もよく練れ大板目流れ、刃紋は直刃で小乱れ交じり小沸きつく。先はわずかに内反りをしている。刃長76.6cm、元幅2.6cm、先幅1.8cm。無銘。

拵えは黒漆大刀拵(くろうるしのたちこしらえ)という様式である。柄は麻布で包まれた上から黒漆を施し、鞘は薄い革で包んだ上から同様に黒漆を施している。拵全長94.0cm。
金具はハバキは小型の鉄製で海鼠形に大きく透かしてある。その他の金具は金銅製で、鞘尻より10cmほどは筒金物で鞘を保護していることに特徴を持つ。
奈良時代正倉院の宝物に見られる様式を継いでいるが、平安時代初期の技法と意匠も認められる貴重な拵である。

近年の誤解

鞍馬寺の黒漆剣が標剣(しるしのつるぎ)であり、ソハヤノツルギとも呼ばれ、田村麻呂の死後は皇室の御剣となって坂上宝剣となった。また、雷が鳴ると自然に鞘走ったとの誤解が広まっている。
しかし概要のとおり、鞍馬寺では黒漆剣の由緒は口承でのみ伝わるにとどまり、文献や史料に黒漆剣の記述は残されていない。
この誤解は刀剣研究家の推測や、刀剣書籍の誤解から間違って広まったものであり、史料に混同がみられるため信憑性に欠けている。

黒漆剣は標剣か?

標剣(しるしのつるぎ)は特定の刀剣をさす名称(号)ではない。例として『豊受太神宮禰宜補任次第』によると“外宮の祭祀を司る渡会氏の祖、大若子命が北征の際に天皇より標剣を授けられた”との記述があり、標剣とは節刀を指していることが確認できる。
節刀(せっとう)は将軍職や遣唐使大使などに任命された者が、その委任の印として天皇より賜与される刀剣である。任務が終われば任命された者から天皇に節刀が返還される。
征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂は801年(延暦20年)2月14日に節刀を受け、同年9月27日の蝦夷討伏の報をもって同年10月28日の帰京の際に節刀を返還している。
しかしこのときに田村麻呂が下賜された標剣(節刀)が黒漆剣であったという史料はなく、坂上田村麻呂が鞍馬寺に奉納したという寺伝とも矛盾するため、黒漆剣が標剣であるとする説は信憑性に欠けている。

黒漆剣はソハヤノツルギか?

ソハヤノツルギ(ソハヤノツルキ、ソハヤの剣、ソハヤ丸等)は、坂上田村麻呂をモデルとした御伽草子『鈴鹿の草子』や奥浄瑠璃『田村三代記』などの物語に登場する田村将軍の刀剣である。御伽草子や奥浄瑠璃は架空の物語であるため、黒漆剣がソハヤノツルギであるとする史料とはならない
また、ソハヤノツルギと同一視される大刀として兵庫県の清水寺に坂上田村麻呂が奉納した騒速(そはや)が現存している。騒速は御伽草子同様に、田村麻呂が悪事の高丸鬼神を退治したという由来とともに現在も同寺が所蔵している。
黒漆剣がソハヤノツルギであるとする史料は存在せず、ソハヤノツルギの伝説を仮託された騒速が存在するため、黒漆剣がソハヤノツルギであるとするのは間違いである

黒漆剣は坂上宝剣か?

坂上宝剣(さかのうえのたからのつるぎ)は『昭訓門院御産愚記』「乾元二年五月九日と裏書」により実在性が確認されている。これによると、坂上宝剣の刀身には金像嵌で銘が刻まれていると記述されている。しかし坂上宝剣を示す金像嵌は、鞍馬寺の黒漆剣の刀身にはないため、黒漆剣を坂上宝剣とするのは間違いである。
また、坂上田村麻呂の死後に朝廷へと伝来し、平安時代から鎌倉時代にかけて朝廷が所持していたという記録が残っており、坂上田村麻呂が鞍馬寺に奉納したという黒漆剣の来歴は矛盾する
これらの事から黒漆剣が坂上宝剣であるとする説は否定される。

黒漆剣は雷が鳴ると自然に鞘走ったか?

雷が鳴ると自然に鞘走ったという俗説は『古事談』第1「王道后宮」や『古今著聞集』第20「魚虫禽獣」において、坂上宝剣についての談話として記録されているため雷が鳴ると自然に鞘走るという伝承は、黒漆剣ではなく坂上宝剣の伝承であるため、黒漆剣が雷が鳴ると自然に鞘走ったとする説は否定されている。

このように黒漆剣を標剣、ソハヤノツルギ、坂上宝剣とする俗説は本来は黒漆剣とは別々の刀剣であるにも関わらず、それぞれの史料が混同されて同一の刀であるとされたことによる誤解である。

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