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蕨手刀

わらびてとう

日本の刀剣のひとつ。古墳時代末期から奈良時代にかけて用いられた。
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概要編集

蕨手刀は、刀子または刃の短い横刀が祖型と考えられる刀。明治15年に松浦弘(武四郎)が編集した『撥雲余興』の中で、岩手県角塚古墳から出土した刀とならんで東大寺正倉院伝世の刀の図を並べて「蕨手刀」と記載している。柄頭が早蕨のように丸くなることからこの名前がつけられた。


7世紀後葉〜8世紀前葉に福島県、群馬県、長野県で出現して8世紀には西国に伝わると、東北地方や北海道にも普及したが、8世紀後半には消滅して9世紀には終焉を迎える。


8世紀を通じて柄の絞りや柄反りを深くして湾刀化が進むと9世紀以降に毛抜形蕨手刀が現れる。かつては刀剣界を中心に蕨手刀から毛抜形蕨手刀へと発展し、そこから毛抜形刀に変化したとの見解が示されていた。しかし現在では全国の出土例を集成した研究が進められたことで考古学界から出現時期や出現地域、形態的特徴などから方頭共鉄柄刀が毛抜形刀に変化したという型式学的変遷過程が明示されている。


独特な形状の柄は、シミター等と同じく騎馬での使い勝手を考慮したものと言われていたが、近年の研究論文では騎馬では使われていないことが判明している。


約280点ほどが全国で確認されているが、その8割が北海道・東北の出土と圧倒的に多い。このとから奥州の舞草鍛冶によって作られた「蝦夷の刀」とイメージされている。しかし今日では早期の蕨手刀の出土は信濃地方が先行していることが明らかにされており、律令国家から蝦夷社会へと伝えられた刀である。


研究史編集

1960年代に石井昌国『蕨手刀 日本刀の始原に関する一考察』(雄山閣出版、1966年4月)が刊行されると、その後の研究では刀剣界を中心として日本刀の祖型を蕨手刀に求めた。日本刀の弯刀化の過程として、蕨手刀の柄に透かしが入った毛抜形蕨手刀となり、やがて毛抜形太刀に変化するとされてきた。


しかし2010年頃を境として、考古学界から上古の刀剣を研究した菊地芳朗『古墳時代史の展開と東北社会』(大阪大学出版会、2010年2月)、豊島直博『鉄製武器の流通と初期国家形成』(塙書房、2010年5月)、津野仁『日本古代の武器・防具と軍事』(吉川弘文館、2011年10月)が立て続けに刊行されて以降、考古学的成果を元にした上古の刀剣の編年がほぼ終わると、先行する研究をまとめた小池伸彦『日本の刀剣 日本刀の源流』(吉川弘文館、2022年11月)などが刊行されて、現在では蕨手刀と時期が重なる方頭大刀から日本刀に変遷したことが学会での通説となっている。


関連タグ編集

日本刀

アシタカ - 蝦夷の青年であり、蕨手刀を下げている。……という設定ではあるが、劇中では柄がまっすぐの直刀として描写されている。

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