概要
江戸幕府初代将軍徳川家康を神格化した東照大権現を祀る神社。
久能山は推古天皇の時代、久能忠仁によって久能寺が建立された。平安末期から鎌倉にかけて、三百余の禅坊が栄えたという。戦国時代になると武田信玄により久能寺が移され久能城が築城されたが武田家滅亡後、徳川領となった。
1616年、徳川家康が逝去すると遺言により亡骸はその日のうちに久能山に埋葬され、2代将軍・徳川秀忠によって東照宮が創建された。この時に造営された現在の社殿の「権現造」の様式は、日光東照宮を始めとする全国の東照宮建築のひな形となった。
2010年12月に本殿、石の間、拝殿が国宝に指定されており、神庫、神楽殿、鼓楼などの建物も重要文化財に指定されている。
余談
家康の居場所
家康の遺体は幕府文献などの記述から一周忌の後、日光へ改葬されたと考えられてきた。これは藤原鎌足が死後1年後、摂津から大和に遺体を移した故事に倣ったものと思われる。
しかし、近年では実際には改葬されておらず今も久能山に眠っているという説が有力となりつつある。
家康の洋時計
付属する久能山東照宮博物館に展示されている国指定重要文化財指定のスペイン製の置時計は1581年の銘があり、日本に現存する最古のゼンマイ式南蛮時計で、フェリペ2世のお抱え時計師ハンス・デ・エバロによって製作され、1611年にセバスティアン・ビスカイノが家康に献上したもの。ハンス・デ・エバロの製作で久能山東照宮の他に現存している時計は、スペインのエル・エスコリアル宮殿にあるものの他1個のみといわれている。
外部リンク
関連項目
榊原清政−久能山城代、後に久能山東照宮の門番を務めた。