概要
幼いころから映画を見て過ごし、少年時代から精通していた。
社会人になってからは映画の広報などの仕事をしていたが、1966年から始まった長寿番組『日曜洋画劇場』の解説をきっかけに、一躍お茶の間の顔となる。
日曜洋画劇場では、番組の冒頭と終わりに、映画の解説や作品の裏話を非常に親しみやすく語ることに定評があった。
また、番組の終わりに、必ず『それでは次週を御期待下さい。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ』と言うセリフで締めるのが定番で、『サヨナラおじさん』の愛称で親しまれた。
1998年、いつもどおりにスタジオでの映画解説をおこない、その翌日に人生の銀幕に幕を下ろした。享年89歳。
最後の言葉は『もっと映画を見なさい』だった。
2014年から、huluのCMに登場しており、音声合成の手法を用いて解説を行っている。
人物
映画人として
映画への造詣が非常に深く、間違いなく日本一の映画解説者である。
彼の独特な解説は、お茶の間の視聴者からも好評であり、未だに根強いファンを持つ。
洋画の邦題についてもこだわりがあり、西部劇の駅馬車の邦題を巡って大もめして会社を辞めたという話もある。(その後ちゃんと再入社したらしい)
映画評論に関しては解説する姿とは対象的に結構辛口で筆舌が高かったという。
有名な映画監督や俳優との交流もあり、黒澤明などは生涯を通じての親友だった。黒澤の葬儀において出棺前の最後の別れの時「僕もすぐに行くからね!」と棺に眠る親友に言葉をかけた。
そしてその言葉通り淀川が逝去したのは、黒澤明が亡くなった二ヶ月後のことである。
そして最後に解説をおこなった映画『ラストマンスタンディング』は、黒澤明の映画『用心棒』のリメイク作品である。
またビートたけしとも交流があり、彼の北野武としての作品を高く評価している。
生前のチャールズ・チャップリンとも交流があり、淀川は日本におけるチャップリン評論の第一人者と言われている。
また、俳優のアーノルド・シュワルツェネッガーに『シュワちゃん』の愛称を付けたのも、淀川である。
私生活
生涯独身を貫いた。
これは淀川がホモセクシャルだったことも一因しているが、複雑な家庭環境で育ったことなども少なからず関係しているようで、自著などではそういった事情を赤裸々に語っている。結婚もしなければ子を成さなかったのも複雑な家庭環境ゆえの「淀川家」への復讐の意味もあったという。
何度か結婚する機会はあったものの、いずれも断念している。
非常に母親想いであり、放送タレントの永六輔によると、自身の誕生日には必ず母親と一緒に祝っていたという。
永と淀川は誕生日が同じであり、永が『お互いの誕生日を一緒に祝いませんか』と声をかけたところ、『誕生日というのは自分の誕生を祝う日ではなく、自分を生んでくれた母親に感謝する日だ。だから、僕は君とは一緒に過ごせない』と答えたという。