国鉄が設計・新製した気動車で、キハ20系の暖地勾配線区向け両運転台車。
暖地向けとあるが、実際には東北地方でも運用された。
キハ53 500番台までは単行運転できる急行形車両がなかったため、キハ58系と併結して東北本線を行き、末端線区を単行で走る急行にも使用された。
スノープラウをつけ冬場の重装備に身を固めた急行「いなわしろ」の勇姿は今でも語り草である。
JR化に前後してキハ20系が新系列の軽快気動車に急速に置き換えられていく中、キハ52だけは、
大型車として十分な収容力があり、ただし単行運転が可能で、尚且つある程度の急勾配を単独自力登坂できる性能を持つ。
……という条件を満たす車両がキハ53形(製造数はキハ52よりずっと少ない)しかなく、
キハ58系からわざわざ改造する有様だったため、
キハ52形は比較的後年まで残ることになった。
しかしそれでも、JR世代の新系列気動車の増備に伴い徐々に活躍の場は狭まっていき、2010年3月をもってJR線上からは引退した。
JR西日本に最後まで残っていた3両のうちの1両(125号)をいすみ鉄道が譲り受け、2011年から運用を開始している。これは主に観光誘致目的だが、バス構造のいすみ200'形の車体劣化が激しく純粋な鉄道形車両への置き換えを必要としていた面もある。
JR時代はクリーム色+青色の国鉄旧気動車標準塗装だったが、いすみ鉄道譲渡後にクリーム色+朱色の
国鉄気動車標準塗装となり、2014年に首都圏色に塗り替えられた。
JR西日本の残りの2両は、115号(クリーム色+朱色)が津山駅構内の扇型機関庫で静態保存され、156号(首都圏色)は糸魚川市に所有権が譲られ、現在は糸魚川駅で静態保存されている。
同系列車両
キハ52の基本設計をそのまま流用し、標準軌化・車体(横幅のみ)の大型化・低床ホームのためのステップ段数の追加という程度の差異しかない車両が、日本の車両メーカーから納車されている。エンジンもDMH17系×2基。
ただし日本と全く違う運用方法として、2両のキハの間に数量の引き通し線付き客車を挟んで走行という方法が多用されたため※エンジンに常時過負荷がかかり老朽化が早く、21世紀に入る前までに大多数が廃車になっている。
※今ミャンマーに渡った日本形気動車でも多用される手法であるが、老朽化を更に進めるのがお約束になっている。