国鉄301系
1966年に製造された営団東西線乗り入れ用車両で、当時の国鉄としては珍しくアルミ車体を使用した。アルミで軽量化したのはいいが車体のメンテを怠り汚れがひどかったので、数年で車体全体が塗装にされた。
おそらくはジュラルミンとこのアルミ合金を全くの別物と考えていたフシもある。
ジュラルミンはこの301系から遡ること20年、オロ40や63系に使って、ものの数年で結局車体を作り直したほど電蝕に苛まれた代物であった。
どちらもアルミニウムを主材料とした合金である。山陽電気鉄道や営団地下鉄は薬品処理によって表面を酸化皮膜で覆い、頻繁な洗車で腐食を回避したのだが、国鉄は被膜のないアルミ合金の表面にクリアラッカーを塗ったので、製造直後は似たような外観でも、しばらくすると塗膜面にかすかな穴が空いた時顕著な差異が出てしまう。後になされたような全塗装であれば塗膜自体が膨らんだり剥げたりするからまだ分かるが、塗膜が無色なのでそうした異変にすら気づけなくなるという点で、クリア塗装は結果的に失敗であった。
7両編成8本が作られたが、アルミ車体の製造費がかなりかかったことから翌年から103系1200番台の製造にシフトしており、財政悪化の影響がこのころから始まっていたことがうかがえる。
上述の通り7連(6M1T)8本で56両なので、後に編成が10両に伸ばされた際には編成替えを行い、10両編成5本とし、6両は半端となる。5両は予備編成となり、1両だけ廃車となった。
山陽電気鉄道とは違いアルミをうまく使いこなせなかった車両である。
民営化でJR東日本になった後も働いたが、E231系800番台が投入されて置き換えられた。
民営化後にAU712形冷房装置が搭載されて冷房化が行われたが、制御用のマイコンも屋根上の機器箱に収めていたために熱でマイコンが故障してしまうことが多々あった。そこで一部の車両の屋根を試験的に白一色で塗装したが、この時使われた塗料はなんとNASAが開発したものである。
現在はホームセンター等で市販されてもいる遮熱塗料である。
なお301系の主制御器は103系0番代の流れを汲むCS20系で、バーニア超多段制御である1000・1200番代のCS40とは異なるが、後年これらと併結している。
ただし額面上の加速性能は揃っていても1段1段の抵抗が抜けていく際のショックがまるきり違うため、不快な衝動は避けられず「一応できる」という域を出ない。(編成後方に連結されている分には車体が軽いため対した衝動にはならないが、編成前方の場合先に起動してしまうため103系に突きあげられて大きな衝動が発生する。)
西武301・1301系
西武101系電車のうち新101系と呼ばれるグループの中で、8両固定編成を組むグループが本系列に区分されている。モハ301形 (2代)、クハ1301形 (2代)、サハ1301形からなる。
詳細は101系の項目を参照のこと。
JR東日本EV-E301系
詳細はEV-E301系へ