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あい、概要だよー。みんな、いい?

睦月型駆逐艦11番艦。ゲーム内では貴重な眼鏡キャラの一人。

史実でかなり忙しく働いていた反動か、いつも気怠そうにしている。

戦闘時においても、「ちょっと面倒…」「まぁいっか…適当でも」と発言するあたり、忙しく働くことにかなり抵抗があると思われる。

また、1/29のアップデートでは「まぁーいいんだよ、動くとしんどいから。ボーっとしてよ?あぁ、いいって平気平気、何とかなるって。」とやる気のない放置ボイスが追加された。

なお、この放置ボイスでダメになった提督も少なくない。

しかし、彼女の轟沈時のセリフでは、これらの面倒事も楽しかったという旨の本心が垣間見える。

ただし本心を打ち明けてからの轟沈となる為、轟沈させてしまった提督に対して強烈なトラウマを植え付けてしまう。

彼女を運用する際は、轟沈させないように心がけたい。

公式の4コマ漫画においては、初雪となにか通ずるものがあったらしく、固い握手を交わしている。

睦月×如月、弥生×卯月など睦月型2名で一組の絵となる場合望月は三日月とペアになる率が高い。その三日月からは「もっちー」と呼ばれているようだ。

アニメでは弥生と並んでいる事が多かった。

娘だらけの作品で「体が軽い」とか言ったり轟沈の際に本心を言うなど、何となくあの黄色い少女を思い浮かべる提督もいるが、くれぐれも慢心しないように。

容姿、って…うあぁー。ちょっと面倒…

ロングヘアの明るめの茶髪に明るめの茶色の瞳、赤のアンダーリム眼鏡をかけている。

服装は皐月以降の睦月型共通の赤のラインの入った黒のセーラー服と白のスカーフ。三日月の飾りは文月と同様、左前襟についている。

睦月型の中では唯一無地の白のソックスで、靴は茶色のローファー。

艤装も皐月以降の睦月型と同じで、ベルトで左腰に爆雷を固定し、足首の上に三連装魚雷発射管を装備、右腕に盾を、左手には拳銃のように単装砲を握っている。

如月弥生より一回り小さい。

はいはい。史実出ますよー。

浦賀船渠で「第三十三号駆逐艦」として1926年3月23日に起工、1927(昭和2)年4月28日進水。

1928年8月1日に「望月」の艦名を与えられた。

最初は第二十三駆逐隊に所属して日中戦争で活躍。

開戦時に第三十駆逐隊卯月と入れ替わるかたちで編入され、太平洋戦争の初戦である真珠湾攻撃と並行された「ウェーク島攻略作戦」に参加した。だがこの作戦で如月が沈められてしまい、さらに解散した二十三駆逐隊から卯月が編入されてくる。これ以降、卯月とは長い付き合いになる。

その後もラバウルやモレスビー港攻略に従事し、ガナルカナル島(ガ島)の設営作戦に参加した後に佐世保に一時帰投する。そこからガ島への輸送・上陸作戦に参加するが、ここで睦月と弥生を喪い、磯風とともに乗員の救助に当たっている。

そこから一時的に三十駆逐隊が解隊され、しばらくは輸送作戦に従事するが、およそ半年後に二十三駆逐隊の同期だった三日月を加え、卯月と三隻で三十駆逐隊を再結成する。

ところが1943年7月に三日月が沈み、その後を追うように10月に彼女自身もにニューブリテン島沖で米軍から空襲を受けて戦没した。

とにかく日本と南方を何往復もさせられており、破損するたびに佐世保に返され、修復後すぐにまた南方に派遣され……を繰り返している。『艦これ』でゆるダルなキャラなのは、上述のように往復任務で忙しく働かされていた反動なのかもしれない。

海自の「もちづき」

望月の名称は後に海上自衛隊の対空護衛艦、「たかつき」型3番艦のDD-166「もちづき」として受け継がれた。

2代目「もちづき」は1968年3月15日進水、翌1969年3月25日の就役で、建造は石川島播磨重工業東京工場である。就役当初は、初代望月と縁が深い佐世保基地を定係港としたが、1971年には呉に、1983年には舞鶴に転属。1995年4月1日に特務艦に種別変更されたが、このとき定係港が24年ぶりに佐世保に戻った。汎用護衛艦「むらさめ」(Ⅱ)型3番艦の4代目「ゆうだち」、同型4番艦の「きりさめ」の就役にともない、入れ替わる形で1999年3月19日限りで退役した。

眼鏡艦娘つながりになるが、本艦と同じ石播東京で建造されたイージス艦「ちょうかい」が、本艦の終の棲家でもあった佐世保基地を定係港としている。

んじゃぁあー、そろそろ関連イラストだぁーっす!!

センシティブな作品センシティブな作品

カップやきそば現象

なんか来たぞ?関連タグだな…読んだら?

艦隊これくしょん 睦月型

睦月 如月 弥生 卯月 皐月 水無月 文月 長月 菊月 三日月

眼鏡艦娘 第三十駆逐隊

夕立/夕立改二:名前を継いだ海自の3代目「ゆうだち」は2代目「もちづき」と同じ石播東京で、4代目「ゆうだち」は初代「望月」が建造された浦賀船渠の流れをくむ住友重機械浦賀工場でそれぞれ建造された。

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