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鷹司繋子の編集履歴

2018-09-25 19:46:55 バージョン

鷹司繋子

たかつかさつなこ

鷹司繋子とは江戸時代後期の仁孝天皇の女御。

重要

父は関白左大臣鷹司政煕仁孝天皇の女御。死後、贈皇后。女院号は新皇嘉門院(しんこうかもんいん)

経歴

文化10年(1813年)、16歳のとき、2歳年下の皇太子恵仁親王(のちの仁孝天皇)に入内。文化14年(1817年)、恵仁親王が即位すると、繋子は女御宣下を受ける。


文政3年(1820年)、繋子は第一皇子安仁親王出産。嫡妻腹の第一皇子であったが、翌年に夭折。


文政6年4月2日(1823年5月12日)に、繋子は再び出産。第一皇女が誕生するが、難産であったため、皇女は同日に、繋子も翌々日の4月4日に息を引き取った。享年26。後月輪陵に葬られた。


死から2日後の4月6日、繋子は女院号を贈られて新皇嘉門院と称され、さらに翌文政7年(1824年)には皇后位を追贈された。


また文政8年(1825年)には、繋子の同母妹の祺子が後添いとして仁孝天皇のもとに入内し、女御宣下を受けている。

家族

父親の政煕は閑院宮直仁親王の王子で鷹司家の養子となった鷹司輔平の子である。繋子は夫の仁孝天皇とは再従兄弟に当たる。母親は父の側室で権中納言豊岡尚資の娘・豊岡斐子。異母兄の関白鷹司政通、同母妹の仁孝天皇女御鷹司祺子ほか、兄弟姉妹は多数。

系図

東山天皇閑院宮直仁親王鷹司輔平鷹司政煕鷹司繋子

系譜

父:鷹司政煕

母:豊岡斐子

異母兄:鷹司政通

夫:仁孝天皇

皇子:安仁親王

皇女:慈悲心院宮

関連項目

朝廷 女御 仁孝天皇 鷹司家 皇后

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