概要
南関東ではM(マグニチュード)7クラスの巨大地震が歴史的に繰り返されて発生している。この地震は南関東の直下を震源とする被害地震クラスの数種類の大地震をまとめて指す呼び方であり、首都直下地震もこの部類に入る。しかし、南関東は地下構造が複雑なため過去の被害地震の発生様式が特定されていないのが現状だ。
相模トラフから北側をも含めた関東地方南部のいずれかの地域を震源域として、ひとまわり規模が小さいマグニチュード7前後の地震が平均数十年に一度程度の割合で発生している。例としては1855年11月11日(安政2年10月2日)の安政江戸地震(M6.9)と1894年(明治27年)6月20日の明治東京地震(M7.0)などが挙がる。内陸地殻内地震(直下型地震)に限らず、プレート間地震(海溝型地震)、スラブ内地震も想定される。また、震源が海底ではないため、緊急地震速報発信がS波到達の直後になってしまう可能性が高い。
東日本大震災発生以降に関東周辺の地震活動が活発化しているため、注目がなされている。
※厳密には、関東大震災のようなより規模・被害が大きい相模トラフで起こる海溝型地震を含まないのでご注意を。
過去の地震
過去に発生した地震はM(マグニチュード)6~7クラスの巨大地震が多く発生し、揺れによる被害が発生。ここでは最近の地震を取り上げる。
天明小田原地震
天明2年7月15日(1782年8月23日)にマグニチュード 7.0(7.3)程度の地震が発生。月初めより前震あり 、被害は大きく、小田原城の櫓、石垣に被害があり、民家が一千戸倒壊し、江戸で死者が出た。箱根山、富士山、大山で山崩れがあった。震源が足柄平野という見解もあり、小田原地震ではないという学者も存在する。
安政江戸地震
1850年代に連発した安政東海地震と安政南海地震などの安政の大地震の一つ。隅田川東側(江東区)で特に強い揺れを観測し、震度4以上の地域は東北地方南部から東海地方まで及んだと推定。死者は4000~1万人余りとなっている。この地震の影響で江戸城や幕閣らの屋敷が大被害を受けた。さらに被災者への支援、江戸市中の復興に多額の出費を強いられ、幕末の多難な時局における財政悪化を深刻化させた。
明治東京地震
1894年(明治27年)6月20日14時4分、東京湾北部を震源として発生した地震、南関東直下地震の一つである。地震の規模はマグニチュード 7.0であり、震源の深さは約40kmから80kmと推定される。被害の中心は東京から横浜にかけての東京湾岸で、建物の全半壊は130棟で、死者は31人となっている。
など、上記で挙げた地震以外に他にも多く発生している。
被害想定
中央防災会議の報告によると、死者約2万3000人、全壊の建物約61万棟、経済被害約95兆円という甚大な被害が出ると想定されている。