概要
南海トラフにおける地震は、M(マグニチュード)8クラス以上の巨大地震が100~150(中世以前は200、短期では90)年の周期で発生しているが、その中でも宝永型のようなM9前後の超巨大地震は平均400~600年程度の間隔で発生している(但し、この発生周期や確率に関しても数少ないデータを元にして算出したもので、人間のタイムスケールで考慮した場合、信憑性が低いことに注意)。なお、数百年程度の間隔で発生する地震がスーパーサイクルと考えられているのだが、津波堆積物の調査によって、1707年に発生した宝永地震よりも遥かに大きな津波が襲った痕跡も見つかっているので、宝永地震クラスの地震はスーパーサイクルではない可能性もあるということだ。
この地震にはいくつか発生パターンが存在し、東海・東南海・南海・(日向灘)の震源域で同時に連動する(全割れ)か、そのいずれかの震源域で発生し、もう片方がタイムスパンで連動して発生する(半割れ)と考えられている。もちろん、単独で発生する可能性もあるが、震源域が同時連動、あるいは時間差連動が殆どのため、単独の可能性は非常に低い。また、2006年から南海トラフの海底の15カ所で音波を発信する装置を使い地殻変動の調査をした結果、震源域では1年間に平均3~5cmずつひずみが蓄積されている。特に1年間に高知県沖で5.5cm、三重県沖では5.1cmという5cm超えのひずみが蓄積されており、最大のところでは遠州灘と紀伊水道沖では年間6cm程度のひずみが蓄積されていることが分かっている。しかし、これらは観測点のある場所で推定したものなので、観測点のない場所では推定ができていない。
時間差連動の昭和東南海地震・昭和南海地震は、安政東海・南海地震などと比較すると最も規模が小さく、東は浜名湖沖で、西は室戸海盆の東側で破壊が止まっており、東海地震の震源域までは連動していない。よって東海地震の震源域では安政東海地震を最後に170年地震が発生していない状態が続いている。
- 将来の地震発生確率と被害想定 ※1
地震の規模 | M8~9クラス・最悪の想定はM9.1 |
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地震の種類 | 海溝型地震 |
発生領域 |
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地震発生確率 |
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地震後経過率 | 0.88 |
平均発生間隔 |
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想定最大震度 | 7 |
津波の想定 | 最大20m以上 |
経済的被害 | 約220兆3000億円・20年間では約1410兆円(M9.1の場合) |
想定死者数 | 約32万人⇒約23万1000人(M9.1の場合) |
(出典:地震調査研究推進本部・日本経済新聞・ウェザーニュース・読売新聞より)
※1 地質構造的に考慮した場合、駿河湾においては駿河トラフとも呼ばれ、南海トラフとは別物として考える。
※2 日向灘はプレートの沈み込み帯の構造上の違いから、南海トラフの震源域から外して考えることも多いのだが、防災上は一括りにして考慮すれば対策がしやすいなどの観点から南海トラフ巨大地震の想定震源域に含まれている。
最大M9.1で、最悪の場合の死者数は約32万人、経済的被害は約220兆円に上ると想定していた。しかし、のちに想定死者数は従来の想定よりも約9万人も減少し、死者数約23万1000人となり、巨大地震発生から20年間の経済的被害は1410兆円に上ると新たに見直された(想定死者数の見直しは2019年5月31日、経済的被害の見直しは2018年6月7日に行われた。ただしこれでもまだ甘く、西に隣り合う琉球海溝を巻き込むなどで更に規模の大きいものが発生する可能性を唱える学者もいる。)
ただ、あくまでも最悪の想定であるため、上記のことが必ず起きるというわけではない。むしろ、M8クラスの巨大地震が発生する可能性の方が高いが、M8クラスの規模でも大きな被害を伴うため、油断できない地震である。
防災対策としては昭和東南海地震などのM8クラスの地震を想定して対策してしまうと、それを上回る規模で地震が発生するなどした場合は、再び想定外を生んでしまうきっかけになるため、対策を行うには最悪クラスをもとに行う必要がある。
さらに、南海トラ沿いにおいても、巨大な分岐断層がトラフ軸から30km陸側で海底に分岐しているだけでなく、南海トラフ軸周辺まで連続的に伸びている可能性があることが分かっており、仮に巨大地震が発生した場合は、巨大な分岐断層も同時に活動する可能性がある。
発生したら最悪東日本大震災を上回る被害が出る可能性も否定できない。
地震の発生パターン
南海トラフ巨大地震には、3種類の発生パターンが存在している。なお、この記事では、国が想定していないパターンも記載する。
- 通常のサイクルで発生する巨大地震(M8クラス以上)
- 3連動型の巨大地震(最大でM9クラス)
- 琉球海溝の一部も連動することで発生する巨大地震(M9クラス以上)
このうち3つ目の発生パターンについては「極めて稀な現象」として国の想定からは外されているが、一部の地震学者による研究及び調査にて2000年に1回の間隔で発生している可能性が指摘されている。
注意事項
「南海トラフ巨大地震」については誤解がよくあるので、いくつか代表的な例を挙げる。
- 政府が想定している地震想定の認識の誤り
ネット上を見ると、「M9.1の超巨大地震が今後30年以内に70~80%の確率で発生する」などという認識を持ってしまっている者も非常に多い。実はこの認識、間違いである。
正確には、「M8クラス以上の巨大地震が今後30年以内に70~80%の確率で発生する」という認識が正解である。実際に過去に発生している巨大地震は、確実視されているものだけで考えれば、M9に満たない巨大地震の方が圧倒的に多く、過去最大級とされる宝永地震についても気象庁が見直した最大のマグニチュードは8.9程度とされている。
しかし、南海トラフ巨大地震に限っては、発生メカニズムは違うが、言い換えれば「令和6年能登半島地震(M7.6)の強化版」のような地震である。
具体的には、「震源域が陸域にもかかっていること」「大津波を発生させること」「地滑りによる津波も発生する可能性があること」などの全て最悪な条件が揃ってしまっているの特徴。なので、M8前後でも大きな被害は避けれず、しかも安政の地震・昭和の地震のように2回襲ってくる可能性の高い地震なので、規模が小さくても2024年の能登半島地震を遥かに上回る被害になることは予想できる。
- 「南海トラフ巨大地震は起きない」という全く根拠のない認識
「南海トラフ巨大地震」について初めて最悪クラスが公表されて以降、時間の経過とともに、「南海トラフ巨大地震は起きないのではないか?」という認識を持っている者も多い。
実際に南海トラフ沿いなどで地震が発生すると、地震が分散して発生しているから起きない」という認識を持っている者も多くいる。確かにこの考え方に間違いはないのだが、それは「南海トラフ巨大地震が起きない」という根拠にはならない。なぜなら、
- マグニチュードが1違うだけでも、エネルギーはおよそ32倍も差があること
- マグニチュードが1違うだけでも、地震の発生頻度はおよそ10倍も差があること(グーテンベルク・リヒター則)
- 過去に繰り返しM8クラス以上の巨大地震が発生している領域であること(※詳細は『過去の地震』の項目を参照)
が理由だ。仮にM6.0の地震が発生したとしても、南海トラフ巨大地震は最低でもM8程度なので、「M6.0の地震がおよそ1000回分発生=M8.0の南海トラフ巨大地震」ということになるので、仮に1日に1回の頻度でM6.0の地震が南海トラフ沿いで発生したとしても、それが2年以上という長い年月を経て漸くM8程度の南海トラフ沿いに溜まっていた歪を解放できる計算になる(それよりも大きいM9の超巨大地震のエネルギー量に達するには、M6.0の地震がおよそ3万2000回分発生する必要がある)。そのため、小さい地震が何回も多発したところで、特に解消には至らないのが現実。
また、グーテンベルク・リヒター(GR)則で考えても、地震活動が活発になれば活発になるほど、むしろ大地震を誘発させる可能性が高まってしまう。それは、東北地方太平洋沖地震・令和6年能登半島地震など事例は多数。
また、「南海トラフ」での地震活動は、日本海溝などと比較すると、プレート同士は固着し、地震活動が極端に少ないのが通常なので、「沈黙のトラフ」とも呼ばれている。
なので、地震活動が変に活発化している間は特に警戒しなければならない。
詳細
- 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)との違い
南海トラフ巨大地震と東北地方太平洋沖地震との決定的な違いは、震源域が陸域にも及んでいる場所も存在することに加え、津波が揺れている最中に到達してしまう地点も存在することだ(早いところでは、地震発生からわずか数分で津波が到達する可能性のある地点も存在するため、場所よっては避難にかけられる時間は殆どない)。そのため、東北地方太平洋沖地震よりも桁違いな範囲で震度7の揺れに襲われる可能性があり、大被害になる可能性は非常に高い。
そもそも、日本は戦後1回も震源域が陸域にも及んだM8以上の巨大地震に襲われたことがないため、防災上非常に対策の難しい地震とも言える(東北地方太平洋沖地震の震源域は9割以上が海域であるため、殆ど陸域には及んでいない)。
- 南海トラフ巨大地震は別の地震や火山活動も引き起こす
M8以上の海溝型地震が発生すると、非常に広い範囲で地殻変動が起こるため、その周辺地域などでは大地震が続発しやすくなり、火山活動も活発化させる。
そのため、南海トラフ巨大地震だけを重点的に対策をとっていると、別の誘発地震などの対策を全く考慮していないために、また想定外を引き起こし兼ねないと指摘する者もいる。
実際に、過去の南海トラフ巨大地震においても、「1回発生して終了」ということは一切なく、震源域やその周辺地域で誘発地震や火山活動が活発化していた記録が残っており、東北地方太平洋沖地震においても同様のことが起きている。実際に東北地方太平洋沖地震を例の挙げると、M9.0の本震発生後にわずか数十分も経たないうちに静岡県伊豆地方でM4.6・最大震度5弱、翌日の3時59分には長野県北部でM6.7・最大震度6強、本震発生から4日後には静岡県東部でM6.4・最大震度6強などの大地震が相次いで起きていた。
南海トラフ巨大地震によって誘発される発生パターン
※以下は政府が想定している地震よりも、現実的になる可能性のあるものを想定したもので、実際に連動して起こる可能性は否定できないと指摘されているので記述している。考えたくもない話なのだが、2011年の地震のような想定外を繰り返さないためには、このような現象が起こる可能性があることも理解しておくことで今後の迅速な対応につながる可能性があるだろう。
- 【発生パターン1】M8~9クラスの南海トラフ巨大地震+短期間のうちに西南日本の内陸やプレート内で最大M6~7前後の地震多発化
- 【発生パターン2】M8~9クラスの南海トラフ巨大地震 + 短期間のうちに西南日本の内陸やプレート内で最大M6~7前後の地震多発化 + 富士山大噴火
- 【発生パターン3】M8~9クラスの南海トラフ巨大地震 + 短期間のうちに西南日本の内陸やプレート内で最大M6~7前後の地震多発化+ 富士川河口断層帯で大地震 + 富士山大噴火(さらに山体崩壊)
- 【発生パターン4】M8~9クラスの南海トラフ巨大地震+中央構造線沿いの断層(金剛山地東縁区間、五条谷区間、根来区間、紀淡海峡-鳴門海峡区間、讃岐山脈南縁東部区間、讃岐山脈南縁西部区間、石鎚山脈北縁区間、石鎚山脈北縁西部区間、伊予灘区間および豊予海峡-由布院区間)の何れかの区間(或いは断層帯全連動)でM7~8程度の地震 + 短期間のうちに西南日本の内陸(中央構造線沿いを除く)やプレート内で最大M6~7前後の地震多発化
- 【発生パターン5】M9クラスの南海トラフ沿いから南西諸島海溝の一部が連動して発生する巨大地震 + 南西諸島や西南日本で地震活動が活発化+ 南西諸島と九州などで火山活動が活発化
1番は過去の地震の履歴や活動推移を考慮しても、南海トラフ巨大地震が発生すれば、確実に起きると言っていい発生パターン。実際に南海トラフ巨大地震発生前後は、西南日本の地震活動は活発化することで知られており、現在は長期的な活動期の最中と考えられている。特に南海トラフ巨大地震直後の短期間は、地下のバランスが大きく変わったことで、南海トラフから離れている場所も含めて西南日本でも多発することを考慮しておかなければならない。詳細は『西南日本活動期』の項目で解説。
2番は、1707年の宝永地震が該当し、実際に南海トラフ沿いを震源とするM8.6~9.3と推定される巨大地震が発生した49日後に、富士山が側面で大噴火を起こし、関東地方に火山灰などによる影響をもたらしている。関東地方に火山灰が飛んでくる理由は偏西風の影響を受けるため。因みに火山灰に関しては雪とは違い、数cm程度積もるだけでも、ライフラインや交通機関がマヒし兼ねない。また、富士山は観測網が充実している火山なのだが、データが少ないので、それでも予測が非常に難しいのが現状。
3番は、南海トラフ関連で考えられる事象の最も最悪な発生パターン。実は南海トラフ巨大地震関連の富士山は噴火以外にも、山体崩壊のリスクも抱えている。実は富士山の直下には無数の活断層が存在していることも分かっている(富士山の直下にある無数の活断層を総称して「富士川河口断層帯」と呼ぶ)。この活断層も連動して活動してしまえば、富士山も同時に大規模な山体崩壊を起こす可能性が懸念される。なお、山体崩壊が起きる方向や場所にもよるのだが、特に北東側で起きた場合はおよそ40万人が被災する計算が出ている(富士山の山体崩壊)。つまりこのケースでは、南海トラフ巨大地震の発生によって生じる富士山の山体崩壊は最悪のケースとして、被災地が西南日本だけでは留まらない可能性のある発生パターンだ。
4番は南海トラフ巨大地震の発生によって、中央構造線も同時・或いは短期間で活動するというものだ。中央構造線断層帯は、近畿地方の金剛山地の東縁部~大分県の由布院にまで達する全長400kmにも及ぶ大規模な活断層帯である。南海トラフ巨大地震の発生は、中央構造線にも影響を及ぼす可能性が指摘されている。
5番は南海トラフと南西諸島海溝の一部との連動で。平均発生間隔が千年以上であることから、気づかれていない可能性が指摘されている。これは『過去の地震』のところでも詳しく解説している。
他にも「首都直下地震」の誘発など、南海トラフ巨大地震の発生によって影響するパターンは複数あるのだが、今回は5つの最悪のケースを挙げている。
過去の地震
南海トラフでは、M8以上に地震を繰り返し起こしているが、昭和の地震は歴代の地震の中でも最も規模が小さい。なお、過去の地震は遡るほど不明点が多く、見逃されている地震がある可能性もあるので、注意してください。
南海トラフで引き起こされた巨大地震は基本的に現在の震度階級で震度7相当の揺れに見舞われたと推定される地震が多い。
以下は震源域を推定で表したもの。灰色になっているところは活動した震源域、灰色に「推定」と記述されている震源域は確実視されている震源域、灰色に「(一部)可能性」と記述されている震源域は可能性のある震源域・「説」は説がある震源域。
発生年(地震名) | 日向海盆 | 土佐海盆 | 室戸海盆 | 熊野海盆 | 遠州海盆 | 駿河湾 |
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684年(白鳳地震) | 可能性 | 可能性 | 説 | |||
887年(仁和地震) | 説 | |||||
1096年(永長東海地震)・1099年(康和南海地震) | 推定 | 推定 | 推定 | |||
1361年(正平地震) | 説 | |||||
1498年(明応地震) | 推定 | 推定 | ||||
1614年の地震 ※ | ? | ? | ? | ? | ||
1707年(宝永地震) | 説 | 一部可能性 | ||||
1854年(安政東海・南海地震) | ||||||
1944年(昭和東南海地震)・1946年(昭和南海地震) |
※過去の記録から、1600年代にも南海トラフ地震が起きていた可能性は高いのだが、不明点が多い。しかし、歴史記録から考慮すると1605年の慶長地震は伊豆・小笠原海溝で発生した地震で、後に発生する1614年の地震が南海トラフ地震であった可能性が高いため、ここでは1614年の地震を記述。なお、1614年の地震における越後高田などで残っている記録は信憑性が低い可能性が高く、仮に発生していた場合でも、2011年の東北地方太平洋沖地震や過去の南海トラフ地震などの巨大なプレート間地震で起きている事象を考慮すると、それらは南海トラフ地震は発生したことにより大規模な地殻変動が起きたことで、本震発生から比較的短い時間で誘発された地震という見方が可能。詳細は以下の『南海トラフで発生した可能性がある地震』を参照。
確実に起きたとされる地震
- 白鳳地震(M9クラスの可能性)
発生年月日 | 684年11月29日 |
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震央(震源地) | 南海道沖と推定(東海道沖も連動した可能性) |
地震の規模 | M8.3~8.4(M8~9クラス) |
備考 | 「黒田郡」という集落が水没したという伝承がある |
飛鳥時代の後期、天武天皇歴13年10月14日(西暦684年11月29日)に起きたM8~9の南海トラフ沿いが震源域とされる巨大地震。記録によると、南海道沖が震源とされていたが、東海道沖も震源域であったと推定されている。なお、この地震により集落が海に沈んだという伝承が残されている。
- 仁和地震
発生年月日 | 887年8月26日 |
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震央(震源地) | 南海道沖~東海道沖と推定 |
地震の規模 | M8.0~8.5(M8~9クラス) |
平安時代前期の仁和3年7月30日(西暦887年8月26日)に、M8.0~8.5の南海トラフ沿いが震源域とされる巨大地震。南海道沖~東海道沖が震源域とされ、記録によると、近畿地方の被害は宝永地震を上回るほどであったと推定されている。
- 永長地震
発生年月日 | 1096年12月17日 |
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震央(震源地) | 東海道沖と推定 |
地震の規模 | M8.0~8.5 |
嘉保3年11月24日(西暦1096年12月17日)に、東海道沖が震源域とされるM8.0~8.5の巨大地震が発生した。東海地方の津波記録や畿内付近で震害記録がある。
津波による社寺などが400余が流出したという記録もある。
- 正平地震
発生年月日 | 1361年7月26日 |
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震央(震源地) | 南海道沖と推定(東海道沖も連動した可能性) |
地震の規模 | 最大でM8.5 |
室町時代前期の正平16年6月24日(西暦1361年7月26日)に最大でM8.5の南海トラフ沿いが震源域とされる巨大地震が発生した。南海道沖と推定されるが、東海道沖も連動した可能性があるとしている。
軍記物語には、誇張的表現や創作による不正確な記述もあるが、津波の存在は事実としている。
- 明応地震
発生年月日 | 1498年9月20日 |
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発生時刻 | 8時頃 |
震央(震源地) | 東海道沖~南海道沖と推定 |
地震の規模 | M8.2~8.6 |
最大震度 | (不明だが、震度7に相当する揺れが襲った可能性) |
津波 | 津波高は最大で36m超と推定 |
(出典:明応東海地震(1498)による、駿河湾沿岸の津波被害-東京大学地震研究所)|
室町時代の明応7年8月25日(西暦1498年9月20日)8時頃にM8.2~8.6の南海トラフ沿いが震源域とされる巨大地震が発生した。なお、明応の時代は複数の地震が相次いで発生したとされるが、被害の記録から東海・東南海・南海の震源域がほぼ同時に発生したとされる。
揺れの記録は、福島県~京都府までの広範囲に及び、東海道一帯では大規模な津波が発生した。浜名湖も現在は汽水湖になっているが、津波によって陸地が決壊される前は、淡水湖であった。
- 宝永地震(M9クラスの可能性)
発生年月日 | 1707年10月28日 |
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発生時刻 | 13時47分頃と推定 |
震央(震源地) | 和歌山県南方沖と推定 |
地震の規模 | M8.4~8.9・Mw8.7~9.3 |
最大震度 | 7と推定 |
津波 |
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犠牲者 | 死者は4900~2万1000人と推定 |
備考 |
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(出典: 連動型巨大地震としての宝永地震 (1707)・宝永地震)
宝永4年10月4日(西暦1707年10月28日)14時頃に遠州灘~四国沖(日向灘)をM8.6~9.3の巨大地震が発生した。同時に東海・東南海・南海・(日向灘)の震源域全てのプレート破壊が起きたとみられており、日本最大級の地震として知られる。研究者によっては、震度6以上であったエリアは東北地方太平洋沖地震の1.4倍と計算されており、宝永地震の規模はM9.1~9.3(スマトラ島沖地震と同規模)であったとみている者もいる。
死者数は少なくとも2万人と推定され、被害は西日本から太平洋側一帯に及んだ。特に津波の被害が大きく、内陸数kmまで津波が達した地点もあり、沿岸地域は壊滅状態となった。
宝永地震の49日後に富士山の側面が大爆発(宝永噴火)を起こした。
安政東海地震 | 安政南海地震 | |
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発生年月日 | 1854年12月23日 | 1854年12月24日 |
発生時刻 | 9時~10時頃と推定 | 16時20分頃と推定 |
震央(震源地) | 遠州灘と推定 | 四国沖と推定 |
地震の規模 | M8.4・Mw8.6 | M8.4・Mw8.7 |
最大震度 | 7と推定 | 6強程度と推定 |
津波 |
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犠牲者 | 死者は2000~3000人 | 死者は数千人と推定 ※ |
備考 |
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※安政東海地震との区別がつかないため、不明確。
(出典: 遠地地震波形から推定される 1854年安政東海・南海地震の津波励起時刻・安政南海地震(1854)本震の約 4 時間後に生じた津波を伴った余震)
嘉永7年・安政元年11月4日(西暦1854年12月23日)9時頃に南海トラフの東側に位置する三重県南東沖~駿河湾を震源とするM8.4~8.6の巨大地震が発生し、さらに約32時間後の11月5日(12月24日)16頃に誘発される形で西側の紀伊水道~四国沖を震源とするM8.4~8.7の地震が発生した。いずれもプレート境界で起きたとされるM8クラスの巨大地震であった。また、「安政の大地震」の一つとしても知られる。
被害は伊豆から四国にかけての広範囲に及び、死者数千人、倒壊家屋は3万棟以上という大被害をもたらした。いずれの地震も津波は20m以上を超えたという記録がある。
安政南海地震では、和歌山県広川町で、水田の稲むらに火を放ち、住民を高台へ誘導した浜口梧陵の「稲むらの火」の逸話が知れている。これを基に、11月5日を「津波防災の日」として制定されている。
これらの地震の約半年前には伊賀上野地震(安政伊賀地震)が発生している。
- 昭和東南海地震
発生年月日 | 1944年12月7日 |
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発生時刻 | 13時35分頃 |
震央(震源地) | 三重県南東沖 |
地震の規模 | Mj7.9・Mw8.1~8.2 |
最大震度 | 7と推定(当時は震度7の階級は存在しないため、最大震度6となっている) |
津波 | 最大値は9m程度 |
犠牲者 | 死者・行方不明者は1223人 |
備考 | 戦時中に起きた地震であるため、この地震の詳細は不明となっている |
昭和19(1944)年12月7日13時35分頃に三重県南東沖を震源とするM7.9~8.2の巨大地震が発生した。静岡県の御前崎市や三重県の津市などで震度6を観測した。この地震は「昭和四大地震(鳥取地震・三河地震・昭和南海地震)」の一つでもある。
三重県では8~10mの津波が来襲し、死者・行方不明者は1223人、負傷者は2684人に達し、被災した家屋は9万5000棟以上に及んだ。
太平洋戦争中で報道規制が行われていたため、詳細情報は不明となっている。
- 昭和南海地震
発生年月日 | 1946年12月21日 |
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発生時刻 | 4時19分頃 |
震央(震源地) | 和歌山県南方沖 |
地震の規模 | Mj8.0・ Ms8.2・Mw8.1~8.4 |
最大震度 | 6(現在の6弱~6強程度) |
津波 | 最大値は6m程度 |
犠牲者 | 死者・行方不明者は1443人 |
※なお、気象庁のデータでは、最大震度5となっている。
昭和21(1946)年12月21日4時19分頃に和歌山県南方沖を震源とするM8.0~8.4の巨大地震が発生した。西日本では最大で震度6を観測し、震度5以上を観測したエリアは東海・北陸地方から九州地方にかけての広範囲に及んだ。「昭和四大地震」の一つで、約2年前には昭和東南海地震が発生したている。
震動時間は約9分間継続したらしいが、激しく揺れた時間は、1~2分前後であった。津波は東海~九州地方にかけて沿岸に来襲し、三重県、徳島県、高知県では4~6mに達した。
死者・行方不明者は1443人、負傷者は2684人に達し、被災した家屋は約4万棟に及んだ。
南海トラフで発生した可能性がある地震
- 康和地震
永長地震から2年と少し後の承徳3年1月24日(西暦1099年2月22日)に西日本に被害を与えた大地震。内陸地震と考えられているが、この地震による津波を疑わせる記録が土佐(高知県)にあったことから永長の東海道沖と対になる南海道沖地震である可能性が浮上している。
- 慶長地震(南海トラフ巨大地震ではない可能性の方が高い地震)
発生年月日 | 1605年2月3日 |
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発生時刻 | 不明 |
震央(震源地) | 近年の研究で南海トラフ沿いで発生した巨大地震ではない可能性が濃厚になっているが、現状では特定できていない
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地震の規模 |
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最大震度 | 不明(有感の記録は、関東で複数あるが、西日本ではわずか京都の1件だけで、その信憑性が疑問視されている) |
津波 |
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(出典: 26750129 研究成果報告書・南海地震の碑を訪ねて ーUJNR06巡検ガイド(2006.11.8)ーより)
江戸時代初期の慶長9年12月16日(1605年2月3日)に起こったとされる地震。房総半島から薩摩(鹿児島県)にかけて大津波が襲ったことは確実だが肝心の地震動の記録が少なく、伊豆・小笠原海溝、あるいは房総半島沖で起きた可能性も指摘されており南海トラフ発生説はあくまでその中の一説に過ぎない。
しかし、近年の研究やシミュレーションで、5つ目の伊豆・小笠原海溝の鳥島近海を震源として発生した地震として仮定した場合、津波が到達する範囲や有感となる地震動の範囲がほぼ一致していることが判明している。具体的には、
- 2010年に伊豆・小笠原海溝の周辺(父島近海)で発生したM7.8の大地震では、地震動・津波の以下の点で慶長地震と酷似している
- 2013年に行われたシミュレーションでは、鳥島周辺で起きた地震と仮定した場合、津波の到達範囲や特徴が一致したことが判明している
- 関東~九州の広範囲に津波が押し寄せる点
- 伊豆諸島・近畿・四国で周辺よりも津波が高くなる点
が挙がる。そのため、慶長地震は伊豆・小笠原海溝における巨大地震という説がより濃厚になってきているため、南海トラフで発生した巨大地震という説は格段に低くなっている。なお、この研究は2011年の東日本大震災を受けて、「“伊豆・小笠原海溝で巨大地震は発生しない”というのは、研究不足による思い込みに過ぎない」ということが指摘されるようになったことで行われた研究である。現に伊豆・小笠原海溝に関しては、2015年にスラブ内の深発地震ではあるが、M8クラスの巨大地震も発生しているので、「巨大地震は起きない」とするのは問題があると言えるだろう。
しかし、この説については実際に伊豆・小笠原海溝でM8クラス以上の巨大地震が発生することを証明できなければ確定にはならない。
なお、この9年後の慶長19年10月25日(1614年11月26日)に西日本太平洋沿い各地で大地震と津波の記録があり、こちらこそが本当の南海トラフ地震だとする説があるが、実体不明の地震となっている(以下を参照)。
- 1614年の実体不明の地震
発生年月日 | 1614年11月26日 |
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発生時刻 | 12~14時頃との記録 |
震央(震源地) | 震源は不明
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地震の規模 |
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最大震度 | 不明(揺れの記録は西日本・関東などの広範囲なのだが、新潟の高田城下における地震被害を裏付ける確かな記録が確認されていない) |
津波 | 西日本~関東の太平洋沿岸・新潟県の越後高田で津波の記録 |
備考 | 不明点の多い謎の地震である |
1614年の地震は不明点の多い地震だが、仮に日本海側と東海・南海沖の両方が震源域と仮定した場合、満足する単一の地震ではないとされている。
また、1605年の慶長地震が伊豆・小笠原海溝で起きた地震と仮定し場合、この地震の規模は昭和の地震と並んで小規模なモノだったとされるが、無関係な越後高田や会津でも地震記録があり、誤記の可能性もあるが不確定である。
- 西暦紀元頃の地震(M9クラスの可能性)
地質調査から現代の約2000年前にもM9に匹敵する南海トラフ地震が発生していたと見られているが、三重や四国、九州の一部調査点において津波堆積物が宝永の2倍以上厚いことや2000年前の分のみ堆積物が確認された地点が存在したことから、宝永を上回る規模の大津波が発生し押し寄せていた可能性が浮上。一部学者からは更なる対策を求める声が上がっている。(※詳細は以下の「琉球海溝との連動型超巨大地震」との項目を参照)
琉球海溝との連動型超巨大地震
歴史を遡ると、南海トラフは南西諸島海溝と連動して活動した可能性を示唆する痕跡が見つかっている。
室戸岬や御前崎には海成段丘と呼ばれる隆起地形が存在するが、それと酷似する地形が鹿児島県の喜界島にも存在している。隆起量などが非常に酷似しており、発生時期もほぼ同時期に形成された可能性が高いと示唆されている。つまり、少なくとも御前崎~喜界島までの断層が一度にずれ動いた可能性がある痕跡が見つかっており、周期で考慮すると前回の発生時期が千数百年前と推定されていることから、次に起こる巨大地震は政府の想定を超える超巨大地震になる可能性も否定はできない(このような連動型の超巨大地震は約1000年以上の間隔で発生している可能性があるため、気づかれていない可能性がある)。
なお、南海トラフの先にある琉球海溝では地質構造がM9クラスの2004年スマトラ島沖地震を起こしたプレートと非常に酷似しており、過去にもM7~8クラスの巨大地震が繰り返し発生し、中には地震の規模がM7クラスというM8には届かないにもかかわらず、30m近い津波が襲来したという異常な現象が起きたと記録が残る地震もある。
南海トラフに関連する情報
平成29年(2017年)11月1日に地震の予知は不可能として、『東海地震に関連する情報』から『南海トラフに関連する情報』に変えて、運用を開始した。
現在、気象庁が調査を開始する対象となる現象は以下のとおりである。
情報の種類 | 発表条件 |
---|---|
臨時 |
|
定例 | 「南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会」の定例会合において評価した調査結果を発表する場合 |
対象となる現象 |
---|
想定震源域内でM7.0以上の地震が発生(実際に、東北地方太平洋沖地震発生の約2日前にM7.3の前震が発生していた) |
想定震源域内でM6.0以上の(或いは震度5弱以上を観測した)地震が発生し、ひずみ計で当該地震に対応するステップ状の変化以外の特異な変化を観測 |
1カ所以上のひずみ計で有意な変化を観測し、同時に他の複数の観測点でもそれに関係すると思われる変化を観測している等、ひずみ計で南海トラフ沿いの大規模地震との関連性の検討が必要と認められる変化を観測するステップ状の変化以外の特異な変化を観測 |
その他、想定震源域内のプレート境界の固着状態の変化を示す可能性のある現象が観測される等、南海トラフ地震との関連性の検討が必要と認められる現象を観測 |
(出典:気象庁ホームページより)
南海トラフ地震臨時情報
「南海トラフ地震臨時情報」には以下の種類が存在する。
種類 | 発表条件 | 備考 |
---|---|---|
調査中 |
| この段階では、南海トラフ巨大地震との関連性は不明である |
巨大地震警戒 | 想定震源域内でMw8.0以上の巨大地震を確認した場合 | 地震発生時に津波からの避難が間に合わない地域の住民は1週間事前避難を行う |
巨大地震注意 |
| 日頃からの備えを再確認し、必要に応じて避難をする |
調査終了 | 「巨大地震警戒」「巨大地震注意」のどちらにも当てはまらなかった場合 |
情報の信憑性
正直なところ、『南海トラフ地震臨時情報』を鵜吞みにすると危険である。その理由としては、
- 南海トラフ巨大地震の発生を事前に予測した例が一切ない
- 気象庁の文書には以下の注意書きが含まれている。
- 「世界の事例ではM8.0以上の地震発生後に隣接領域で、M8クラス以上の地震が7日以内に発生する頻度は十数回に1回程度」という注意書きが書かれている(巨大地震警戒)
- 「世界の事例ではM7.0以上の地震発生後に隣接領域で、M8クラス以上の地震が7日以内に発生する頻度は数百回に1回程度」という注意書きが書かれている(巨大地震注意)
などが理由である。
発表されなくても、突発的に発生するおそれもあるため、必ずしも発表されるわけではない。
また、気象庁は『南海トラフに関連する情報』に切り替えてからは、『東海地震に関連する情報』を発表することはない。
2024年8月8日16時43分、宮崎県の日向灘でM7.1、最大震度6弱の地震が発生。死者こそなかったものの、南海トラフ地震臨時情報の調査が行われた結果「一部割れ」と判断され、新たな大規模地震発生の可能性が相対的に高まったとして「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が発表される事態となった。幸いにも、南海トラフ付近で特段の変化を示すような地震活動や地殻変動は観測されなかったため、1週間が経過する8月15日を以って解除された。
地震の予測
南海トラフ沿いの巨大地震は複数の地震予測方法が知られており、いずれも2030年~2040年の間に発生する計算になっている。すなわち「南海トラフ巨大地震」については、2030年代に発生する確率は他の年代と比較しても高く、一つの目安の発生時期になる
時間予測モデル
時間予測モデルとは、次の巨大地震までの間隔と前回の巨大地震のすべり量は比例するというモデル。それは高知県室津港の隆起量を用いて計算されている。室津港では、宝永地震・安政南海地震、昭和南海地震の3回での隆起量が知られている。
地震名 | 隆起量 | 発生間隔 | 発生年 |
---|---|---|---|
宝永地震 | 1.8m | 147年(安政南海地震まで) | 1707年 |
安政南海地震 | 1.2m | 92年(昭和南海地震まで) | 1854年 |
昭和南海地震 | 1.15m | 現在70年以上経過 | 1946年 |
西日本大地震(仮) | ??? | ??? | 2034年? |
活動期と静穏期から予測
海溝型巨大地震が発生する前後では内陸直下型地震が増加することが知られている。主に南海トラフ沿いの巨大地震が発生する前は約40~50年前から増加し、発生後は約10年程度活動する傾向が見られている。求め方としては「活動期の最初に発生した地震発生年+海溝型巨大地震発生前の内陸型地震続発期間=海溝型巨大地震発生予測年」となる。「海溝型巨大地震発生前の内陸型地震続発期間」は前回の巨大地震の規模が小さければ小さいほど短くなる。
- 1995(阪神・淡路大震災)+40=2035年?
他にも計算方法はあるのだが、面白いことに何れも発生時期は2030年代になる。
しかし、「南海トラフでは使用できるデータが非常に少なく、室津港の隆起量についてもたった一カ所のデータのみで700kmに及ぶ長大領域全体を評価できるのか」「日向灘沿いで発生する大地震などの外的要因によって発生周期が短縮される可能性があることは一切考慮していない」などの複数の問題点が存在する。
このうち「時間予測モデル」に関しては、否定的な研究結果も報告されているが、他の手法での発生時間はみんな2030年代になるため、信憑性が低いとは言えないだろう。
南海トラフは地球全体で見てもトップクラスに過去の地震記録が多く残っている海溝なのだが、それらをもってしても未来の地震予測は非常に大雑把にしか出来ていない。地震予測の難しさと、地球という存在の壮大さを感じざるをえない話である。
西南日本活動期
平均100~150年に1回の間隔で発生している南海トラフ巨大地震だが、発生前後(発生の数十年前~発生後約10年程度)は西南日本で、地震活動が活発化することで知られている。研究によると、静穏期のおよそ4倍程度にまで膨れ上がり、それは被害地震だけではなく、有感地震全体についても同様の傾向が見られている(出典: 西南日本の地震活動期と静穏期) 。
なお、現在の西南日本は、阪神・淡路大震災を境に活発化傾向にあるため、それ以降に発生した西南日本の地震活動は、長期的に見れば南海トラフ巨大地震の前兆ととらえることができる。
但し、活動期・静穏期の判断は、西南日本の地震活動の状態を長期的に見て評価する必要があり、たった数日や数週間、数年という短期間での評価はできない。
メカニズム
- 発生前
南海トラフ巨大地震は、大陸プレート(ユーラシアプレート)が海洋プレート(フィリピン海プレート)の沈み込みに伴って、引きずり込まれていき、それが耐えきれなくなり、跳ね返ることによって発生する地震だが、大陸プレートが引きずり込まれていくと、プレートの固着域(アスペリティ)の影響を受けて、陸側のプレートにも応力が働き、歪が蓄積されていく。そうなると、その歪を部分的に解消しようとして、地震が発生しやすくなるため、発生前は一定期間地震の多い時期(活動期)が存在する。
もう少し具体的に言うと、活動期の発生前の地震は、力が減る断層で地震活動が活発化することが研究で明らかになっている。これを聞いても多くの人はよく分からないと思うので、なるべく分かりやすく解説する。実は上記で解説したような内陸の断層に働く力の変化はそれほど単純ではない。断層面の向き・すべりの向き・南海トラフで起きた断層破壊との位置などによって力が減ったりすることもあれば、逆に増加したりすることもある。例えば、西南日本には「活断層A」「活断層B」の2つあり、現状「活断層A」は断層を滑らせようとする力が増加して限界に近づいている状態で、一方で「活断層B」は逆にそこまで力が増加しておらず限界まで余裕がある状態であるとしよう。この時点では南海トラフ地震が起きていない状態なので、西南日本の地下に大規模な変化はない。しかし、あるときを境にM8クラス以上の南海トラフ地震が発生した。このとき、日本列島では西南日本を中心に大きな変動が起きるので、「活断層A」ではひずみが限界に近づいていたはずの断層が、南海トラフ地震の発生により、力が減少したことで減った分を取り戻してさらに増加するまでは一定期間持ち越されることになる。逆に「活断層B」では、南海トラフ地震によって力が増加したことで、発生直後に地震が起こりやすくなる(これが以下の「発生後」の地震の正体)。
「力の減る断層」の例は2000年の鳥取県西部地震を除く、1995年兵庫県南部地震・2018年の大阪府北部地震など。
これが西南日本の活動期と静穏期のメカニズムであるのだが、普通の人には把握が難しいかもしれない。
- 発生後
南海トラフ巨大地震が発生すると、固着域が剥がれて、プレートの境界で溜まっていた歪が一旦解消されるが、巨大地震の発生によって、周辺では地殻の歪みが生じ、断層に働いている力に変化が生じる。
そうなると、南海トラフ巨大地震の発生に伴って、力のかかり方が変化するため、活断層が存在している場所によっては、活断層に働く力が減少することもあれば、逆に増加する場所もあり、特に増加する場所では発生後に増加しやすくなる傾向がある。
つまり、南海トラフ巨大地震の発生によって、地殻のバランスが大きく変化すると、逆に応力が強く働くようになる断層では、発生後の暫くの間(約10年程度の期間)は、地震が増加しやすい状態が続くということだ。
- スラブ内地震
2001年芸予地震などのようにフィリピン海プレート内部でおきる地震(所謂、スラブ内地震)も増加するのだが、それは上記に説明した南海トラフの固着域の影響による圧縮の力が伴って発生する地震とはまた違う(これは、プレート境界面の固着域による影響を受けないから)。実際にスラブ内地震におけるメカニズムは、プレートの曲げによって力がかかり、プレートが破断する地震だ。さらに細かいことをいうと、スラブ内では水も大きく関連している。具体的には、岩石の隙間にが入り込むことで、「間隙水圧」が上昇して、簡単に地震が誘発されるというものだ。
南海トラフに関連するプレートの深さ40km付近ではこのようなタイプの地震が発生していて、特に「安芸灘~伊予灘~豊後水道」では過去にM7クラスの地震を引き起こしてきた領域である。なお、豊後水道~伊予灘などの周辺ではちょうど、プレートが急角度に沈み込んでいくため、引っ張る力が強くなる領域に位置していることもあり、このようなタイプの地震が発生しやすい。
このようなタイプの地震は、プレート間地震と双方に関連し合って発生している可能性が指摘されており、特に地震の規模がM7前後以上のスラブ内地震であれば、(南海トラフの)プレート境界面に何らかの影響を及ぼす可能性は否定できなくなってくる(主な例:「スラブ内で活発化していた地震活動が、プレート境界面へ伝播していく」など)
これが、南海トラフ巨大地震の発生前後に西南日本で地震が活発化する理由である。
(出典: 南海トラフ巨大地震の前に内陸の地震活動は活発化するのか?・深発の相似地震における震源パラメータの多様性)
西南日本の活動履歴
地震の記録が残り始めた宝永地震前から活動履歴をまとめた。
今回は海域も含めたスラブ内地震等も記述する。
- 西南日本の活動履歴
M6.4以上の地震履歴 | 周期 | 回数 | 推移期間 |
---|---|---|---|
静穏期 ※1 | 0回 ※1 | 35年程度 ※1 | |
| 活動期 | 7回程度 | 55年以上~45年程度 |
Mw8.7~9.3の宝永地震(1707年) | 南海トラフ地震 | ||
| 活動期 | 6回程度 | 20年程度 |
静穏期 | 0回 | 約60年間 | |
| 活動期 | 7回程度 | 約65年 |
Mw8.6の安政東海地震・Mw8.7の安政南海地震(1854年) | 南海トラフ地震 | ||
| 活動期 | 5回程度 | 10年程度 |
| 静穏期 | 1回 | 約30年間 |
| 活動期 | 10回 | 50年程度 |
M7.9~8.2の昭和東南海地震(1944年) | 南海トラフ地震 | ||
| 活動期 | 2回 | 約2年間 |
M8.0~8.4の昭和南海地震(1946年) | 南海トラフ地震 | ||
| 活動期 | 9回 | 23~25年 |
静穏期 | 0回 | 25年以上の間 | |
| 活動期 | 13回 | 30年程度経過 |
20XX年の東海・東南海・南海地震(震災名の仮名:西日本大震災) | 南海トラフ地震 |
※1 ここでは1614年の地震を南海トラフと仮定している。また、静穏期間を35年としているが、仮に1614年に南海トラフ地震が発生していたとすれば、発生後も最低10年程度の間は活動期であった可能性があるので、実際の静穏期間は25年程度である可能性がある。実際に1625年にも西南日本で「地震で道後温泉の湧出止まる」などという記録がある。しかし、記録が古いため、不明点が多い。
※2「令和5年奥能登地震」という名称は、石川県が呼称。
となっており、1995年に発生した大地震以降、地震活動が活発化傾向にある。そのため、今後も西南日本では南海トラフだけでなく、内陸等で起きる大地震にも注意が必要と言える。さらに、日向灘で起きる大規模地震においても警戒が必要で、それがきっかけで誘発する恐れもある。
また、M6.0以上基準を下げると、静穏期には発生していない大阪北部で発生した地震なども西南日本活動期の一つと考えられている。
最近の被害地震
地震名 | 内容 |
---|---|
兵庫県南部地震 | 引き起こされた震災は『阪神・淡路大震災』。1995年(平成7年)1月17日5時46分頃に淡路島付近を震源として発生したM7.3の地震。『20世紀に発生した戦後最悪の震災』となり、史上初の震度7を記録し、微弱の津波を観測。死者・行方不明者数は6437人。メカニズムは右横ずれ成分を含む逆断層型の地震。この地震を境に西南日本では活動期に入ったのではないかと考えられている。 |
鳥取県西部地震 | 2000年(平成12年)10月6日13時30分頃に鳥取県西部を震源として発生したM7.3の地震。震度階級改正以来初の震度6強を記録した(一部地域では震度7相当の揺れがあった可能性)。M7を超す大地震でありながら、死者数はなんと0人であった。メカニズムは左横ずれ断層型の地震。 |
芸予地震 | 2001年(平成13年)3月24日15時27分頃に安芸灘を震源として発生したM6.7の地震。最大で震度6弱を観測した。死者数は2人。メカニズムはスラブ内地震。 |
福岡県西方沖地震 | 2005年(平成17年)3月20日10時53分頃に福岡県北西沖(旧・福岡県西方沖)を震源として発生したM7.0の地震。最大で震度6弱を観測した(研究所によっては一部地域で震度6強~7相当の揺れがあった可能性)。死者数は1人。メカニズムは左横ずれ断層型の地震。 |
能登半島地震 | 2007年(平成19年)3月25日9時41分頃に能登半島沖を震源として発生したM6.9の地震。最大で震度6強(計測震度6.4)を観測し(一部地域では震度7相当の揺れがあった可能性)、金沢港で約20cmの津波を観測。死者数は1人。メカニズムは右横ずれ成分を含む逆断層型の地震。 |
淡路島地震 | 2013年(平成25年)4月13日5時33分頃に淡路島付近を震源として発生したM6.3の地震。最大で震度6弱、長周期地震動階級は2を観測した。メカニズムは逆断層型の地震で、兵庫県南部地震とずれは異なる方向を示している。 |
熊本地震 | 2016年(平成28年)4月14日21時26分頃(M6.5)と4月16日1時25分頃(M7.3)にどちらも熊本県熊本地方を震源として発生した地震。国内観測史上初めて震度7を2回記録し、長周期地震動階級を導入してから初めて最大である階級4を観測した。地震の回数も内陸直下型の中では歴代最多である。死者数は272人。メカニズムは右横ずれ断層型の地震。 |
鳥取県中部地震 | 2016年(平成28年)10月21日14時7分頃に鳥取県中部を震源として発生したM6.6の地震。最大で震度6弱、長周期地震動階級3を観測した。メカニズムは左横ずれ断層型の地震。 |
島根県西部地震 | 2018年(平成30年)4月9日1時32分頃に島根県西部を震源として発生したM6.1の地震。最大で震度5強(島根県大田市の一部地域では震度6弱相当の揺れがあった可能性)、長周期地震動階級は2を観測した。メカニズムは左横ずれ断層型の地震。 |
大阪北部地震 | 2018年(平成30年)6月18日7時58分頃に大阪府北部を震源として発生したM6.1の地震。最大で兵庫県南部地震以来初めて震度6弱、長周期地震動階級は2を観測した。メカニズムは逆断層型(北側)と右横ずれ断層型(南側)の地震。 |
能登半島地震 | 2024年(令和6年)1月1日16時10分頃に石川県能登地方を震源として発生したM7.6の巨大地震。最大で震度7、長周期地震動階級4を観測した。メカニズムは逆断層型の地震。なお、石川県の珠洲市周辺では2020年12月頃から地震活動が活発化し始め、その頃から異常な群発地震と地殻変動が1年以上続いていた。 |
次の南海トラフ地震の規模は?
次の南海トラフ地震の発生パターンはどのような地震になるのかは実際に発生しないと分からないが、以下の理由から南海トラフで発生する固有地震の中でも極めて大規模なものになる可能性(宝永型の南海トラフ地震)を予想している専門家も少なくない。
- GPS観測網のデータから、南海トラフ沿いやその周辺では強い歪が蓄積されていることが判明していること
- 前回の南海トラフ巨大地震は、比較的規模が小さかったこと
- 東海地域の震源域は、現在も割れ残ったままの状態であること
- 宝永地震から現在まで315年以上が経過していること
等が理由である。なので、次の地震はちょうど時期的に全割れタイプで発生する確率が高くなっている(震災対策技術展)。
また、南海トラフ地震の発生パターンを見ても、隆起量の大きさと地震活動の推移期間の長さからある程度規模を推定できる可能性があることも分かる。1707年の宝永地震は(M8.6~9.3)という全割れタイプで極めて大規模であったために、次の発生時期まで時間が長くなったという見方ができる。そして、1944・1946年の昭和の地震(M7.9・M8.0)に関しては規模や隆起量が最も小さかったために、次の発生時期までの時間が比較的短い上に、しかも安政・昭和は宝永よりも規模が小さい地震だったので、極めて大規模な地震が発生するという見方ができる(仮に1614年に起きた地震が南海トラフ地震だとしたら、その地震は昭和型同様に規模の小さいタイプなのだが、その次に起きた地震が極めて大規模な全割れタイプである宝永地震である)。
関連項目
浜名湖:明応地震により、陸地が破壊され、汽水湖となった。
2011年長野県北部地震:東北地方太平洋沖地震の約13時間後に発生したもう一つの震災。東北地方の被害の方が遥かに大きかったことにより、栄村の報道はあまりなく、昭和東南海地震と同様に『忘れ去られた地震』となった。
海溝型地震
東北地方太平洋沖地震(東日本大震災):平成23年(2011年)3月11日に三陸沖を震源として発生した地震。『戦後最悪の震災』となり、日本の観測史上最大規模の地震となった。死者・行方不明者数は約2万2000人。
大正関東地震(関東大震災):大正12年(1923年)9月1日に相模湾を震源として発生した地震。『日本災害史上最悪』となっており、日本観測史上最大の死者数を誇る。死者・行方不明者数は約10万5000人(1925年時点では14万2800人)。
※震度7は福井地震以降に導入されたたため、最大震度6となっているが、千葉県と神奈川県では現在の震度階級で震度7相当を観測したと推定されている。
外部リンク
地震調査本部(南海トラフ) 気象庁ホームページ 南海トラフ地震対策(内閣府) 宝永地震(NHK防災) 昭和東南海地震体験談映像 昭和東南海地震体験手記 最近の異常地震活動とその評価