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山階宮晃親王の編集履歴

2018-12-09 19:44:06 バージョン

山階宮晃親王

やましなのみやあきらしんのう

山階宮晃親王とは幕末から明治時代の皇族、山階宮初代。

概要

伏見宮邦家親王の第一王子、久邇宮朝彦親王北白川宮能久親王などがいる。

プロフィール

続柄伏見宮邦家親王の第一王子
身位親王
敬称殿下
出生文化13年9月2日(1816年10月22日
死去明治31年(1898年)2月17日
配偶者中條千枝子
子女菊麿王(実子)、定麿王(養子)
父親伏見宮邦家親王
母親藤木寿子(家女房)

父親


経歴

文化13年(1816年)に誕生、幼名は静宮(しずのみや)、初名は清保(きよやす)、文化14年(1817年)に京都の山科の勧修寺を相続し、その後光格上皇の養子になる。文政6年に親王宣下、翌年の文政7年に出家し済範(さいはん)入道親王と称した。天保12年(1841年)10月8日に叔母あるいは妹の隆子女王とともに明石姫路に出奔。その後京に戻るが仁孝天皇激怒させてしまい。天保13年(1842年)7月22日に光格天皇養子・二品親王・勧修寺門跡と伏見宮から追放された。その後東寺で謹慎する。

関連タグ

皇族 伏見宮 山階宮 勧修寺

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