久邇宮朝彦親王
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くにのみやあさひこしんのう
幕末から明治時代初期の皇族、久邇宮初代。
文政7年(1824年)に誕生し、天保7年(1836年)に仁孝天皇の猶子になり親王宣下した。同年に一乗院の門跡、尊応と名乗る。嘉永5年(1852年)に青蓮院の門跡となり、尊融と名乗った。安政6年(1859年)の安政の大獄で永蟄居を命じられた。文久2年(1862年)に復帰した。文久3年(1863年)に還俗して中川宮と名乗った。同年に長州藩と尊王攘夷派を京都から追放する事件八月十八日の政変を実行しその後朝彦と名乗った。その後宮号を賀陽宮と改めた。慶応3年(1867年)の王政復古によって参朝停止を受けて安芸国へ追放された。明治3年(1870年)に京都に戻り久邇宮と改称した。明治8年(1875年)に伊勢神宮祭主。
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