概要
朝鮮戦争終結以降、半世紀以上に及ぶ朝鮮の南北分断を象徴する地。冷戦中、同じ分断国家であったドイツのベルリンの壁と並んで冷戦の象徴とも評されていた。
南北両国が何度も会談を開いている場所であり、未だ戦争中(朝鮮戦争は休戦状態であるだけでまだ正式に終戦していない)の両国にとっては唯一両国が交流する場であり、休戦協定に抵触する問題を何度か発生させた場所である。
メイン画像の通路の真ん中にある線引きされたようなものがあるが、これこそが目に見える形の軍事境界線である。
国連軍兵士達は視線を読まれないようにサングラスの着用が義務付けられ、韓国軍兵士は国連軍兵士に見劣りがしない立派な体格と英語力、勤務態度はては家庭環境(裕福で幸福な家庭の出身であることが求められる)も基準にして選別される。警備にあたり韓国軍兵士は仁王立ちをするが、これはテコンドーにおける臨戦態勢を意味するらしい。
朝鮮半島において、最も緊張感が漂う場所であり韓国のツアーで観光できるとはいえ気の抜けない場所であり、観光にも厳しい制約がなされている。
なお、個人での観光はできず集団であること・事前手続きが前提であり、韓国ルートにおいての観光客は「国連軍のゲスト」の名目の下に観光が許可されている。また、誓約書(細かいルールの遵守や万が一北朝鮮側から銃撃された際は自己責任などが記載されている)の記入が求められる。(治外法権に限りなく近い為)
ここではカメラとパスポート以外の持ち込みは禁止され、ここにくる途中で米軍兵士が観光バスに乗り込み、現地では常に米軍および韓国軍兵士に監視される。
一方、北朝鮮ルートからの見学は、往々にして韓国側と比べて緩いと評される。
この周辺を守る第一師団は韓国軍の中でも規律が厳しいことでしられ、朝鮮戦争時に平壌入りを果たした初めての部隊であることから第一師団の名を与えられたという経緯を持つ。
周辺の居住区
軍事境界線周辺は休戦協定で民間人統制区域として定められており、民間人の居住はおろか、立ち入りすら許可されていないが幾つかの例外を紹介する。
臺城洞
自由の村。軍事境界線から500mほど韓国側にあり、休戦当時の村民とその直系子孫のみが居住を許されている。ほとんどの村民が農業を営んでおり、韓国人の三大義務中、納税と徴兵を免除されている。
村民は農作業の際に軍人の監視及び警備を受けねばならず、一年間に八か月以上村に居なければ自動的に居住権が剥奪されるといった厳しい制約が課せられている。
更に民間人統制区域であるために、普通の民間人は観光ツアーなどで無ければ立ち入ることすら許されていないなど、自由の村と評される割には何かと制約の多い村である。(対立中の勢力圏の境目にあることを考えれば無理もない話であるが)
機井洞
平和の村。軍事境界線上の北側にある。200世帯ほどが住む模範的な集団農場の村で、保育所・学校・病院を完備しているとしている――というのが北朝鮮側の主張である。
しかし韓国側の主張によると建物は窓も内装も無いがらんどうであり、電気は夜に一斉に点いて一斉に消えるというどう考えてもおかしい村で、北朝鮮がプロパガンダのために建設し、韓国人の亡命を促す宣伝村に過ぎないとのことである。
都羅山駅
韓国側が建設した駅。太陽政策によって融和による南北統一を実現した際、北側の鉄道と連結させて自由に南北両側を行き来できるよう2002年に建設された。
駅構内には「南北出入境管理事務所」が設置されており、保安検索台や出入境審査台、税関、そして南北直通列車用のホームがある。なんで「出入国管理」じゃないかというと、東西ドイツと違い、南北分断から現在に至るまで両国が互いを国として認めない姿勢をとっているためである。
名前の由来
俗説だが、休戦協定の時、近くに「ノル門里」という店があり、中国軍の軍人が北朝鮮軍軍人に「ノルってのは板って意味」と教えられて色々誤解して広めてしまったため、「漢字で書くと板門店」というのが定着してしまったからだとか。
因みにハングルで発音すると板門店は「パンムンジョム」である。ノルどこいったし。