発見と命名
ポーランドとモンゴルの古生物学遠征隊が1965年に、長い前脚と三本の爪の化石を発見し、1970年にポーランドの古生物学者ハルスカ・オスモルスカとエヴァ・ロニエヴィッツによって、「尋常じゃない恐ろしい腕」を意味するデイノケイルス・ミリフィクスと命名された。
しかしそれから約40年もの間、本種は他の化石が見つからず、謎の恐竜の一つとされてきた。模式標本が発掘された現場でも再調査が行われたが、タルボサウルスに食い荒らされたらしく、歯型の残った部分的な肋骨が見つかった程度だった。
だが2006年から2009年、韓国の古生物学者イ・ユンナム率いる調査隊が、模式標本の発掘現場の近くで本種の2体分の化石を発見した。残念ながら頭骨と四肢の骨の一部は違法な化石ハンターの盗掘によって失われていたが、ほぼ完全な状態の胴体部分の化石が発掘された。また盗掘された頭骨と四肢も、2011年にヨーロッパの化石コレクターのコレクションから発見され、2014年にモンゴルに返還されたことで、ついに全体像を復元できるまでに至ったのである。
特徴
長年、デイノケイルスは謎の恐竜とされてきた。かつては超巨大肉食恐竜とする説や、超大型ドロマエオサウルス類とする説もあった。
当初見つかっていた前脚は同時期に棲息していたテリジノサウルスと同様に非常に長かったが、構造はオルニトミムス等の「オルニトミモサウルス類」(ダチョウ恐竜)と似ていた。だがそのサイズは通常の駝鳥竜類よりもはるかに巨大で、推定全長は10メートル以上と考えられた。
新たに発掘された標本のおかげで、本種が駝鳥竜類であることは確定したが、やはりこの種類の中でもとりわけ奇妙な姿をしていた。まず体格だが、全長11メートル・体高5メートル・体重6.4トンと、駝鳥竜類の中でも最大級の体格であった。胴椎の多くが空洞化していたことが、巨大化を助けたとみられている。次に脊椎の棘突起は、スピノサウルスのように非常に長く発達していた。そして頭骨は歯のないところを除けば、前半部はカモノハシ竜に酷似しており(後ろ半分は駝鳥竜類だが)、下顎は発達していた。後肢は駝鳥竜類としてはかなり短く、あまり巨大な体躯と相まって、あまり早く走れなかったことを示唆している。
生態
永らく生態については謎だったが、新たに発見された標本から1000個以上の胃石が確認されたことやカモノハシ竜に酷似した頭部から、植物を食べていたことが明らかとなった。だが同時に魚の鱗や椎骨も確認されたため、雑食性だった可能性が示唆されている。その長い前脚と鉤爪は、樹皮を剥がしたり木の葉をかき寄せたり、魚を捕らえるのに役立ったかもしれない。
また非常に発達した脊椎の棘突起から、背ビレが発達していたか、現在のラクダやバイソンのように脂肪を貯めるコブが発達していた可能性が示唆されている(ラクダやバイソンもコブのあたりは棘突起が発達している)。
前述したようにタルボサウルスの歯型が残った肋骨が見つかったことから、タルボサウルスが最大の天敵だったと思われる。そのため長い前脚と鉤爪を、身を守る武器としていたかもしれない。指の本数はガルディミムスなどのように原始的な4本指だったのか、ストルティオミムスなどのように進化した3本指だったかはっきりしていない。体骨格に関する予察的な研究ではガルディミムスと近縁とされており、それが確かならば4本指の足であったと考えられる。