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方倉陽二の編集履歴

2019-09-07 10:30:42 バージョン

方倉陽二

かたくらようじ

方倉陽二とは、日本の漫画家である。

経歴

1949年、大分県豊後高田市出身。少年時代は数学が大好きで、絵も得意だったが漫画家になろうとは思っていなかった。家庭の事情で大学に進学できず悶々としていた19歳の時、手塚治虫責任編集の雑誌『COM』に衝撃を受け、漫画家を志す。大人向けの1コマ漫画を同誌に投稿し、審査員を務めていたやなせたかしに激賞された。


1970年、上京し、藤子不二雄のアシスタントを務め、1973年からはチーフアシスタントも務めた。1976年に独立し、雑誌「小学一年生」において『アカンベー』でデビュー。同年から『ドラえもん百科』を連載開始し、同作における『ドラえもん』の設定は「方倉設定」として知られる(後述)。


児童漫画を専門とし、代表作に『のんきくん』、『まじかるハット』などがある。科学や数学分野の学習漫画も手掛け、「監修者が用意してくれた資料が不要なほど、数学の知識があった」という。


しかし晩年は健康を害し、師・藤子・F・不二雄の後を追うように、1997年4月8日、くも膜下出血で突然の逝去。48才であった。


『ドラえもん百科』と方倉設定

藤子のチーフアシ時代は『ドラえもん』派生作品の作画や挿絵を担当した。時に多忙な藤子(F)に代わり設定考証も行っており、えびはら武司いわく、のび太くんやしずかちゃん達の誕生日を設定したのは方倉だという。(藤子スタジオアシスタント日記~まいっちんぐマンガ道~より)


初期のコロコロコミックではドラえもんの様々な裏設定を紹介する『ドラえもん百科』と呼ばれるミニコーナーが方倉によって連載されていた(1977年〜1981年)。これは後に単行本化もされた。


ただ、初期の『ドラえもん』はコメディー色の強い正真正銘のドタバタギャグ漫画であったため、『ドラえもん百科』も真面目な設定考察本ではなくあくまでギャグ漫画の体裁で描かれていた。そのため、この『ドラえもん百科』には藤子F公認の公式設定に加えて、方倉によるお遊びとして作られたオリジナル設定がいくつか混じっている

『百科』で公開された設定や考察は現在ではファンより方倉設定と呼ばれている。


「方倉設定」の中には事後において藤子Fより公式設定として拾われたものもあるが、後に藤子F自身の手によって修正(変更)や否定をされたものも多い。

特にドラミまわりの設定である「オイルを分けた兄妹でドラミに良質のオイルが使われた」「ドラミのタイムマシン・チューリップ号」「メロンパンが好物でゴキブリが嫌い」などは本来は方倉設定であったものである。(また、オイル設定は後に藤子Fに「ドラミは最初から妹機として企画されて作られたもの(オイルは関係ない)」として否定されたが、のちにわさドラ版で拾い上げられて公式設定に復帰するなどの変遷を見せている)

そして藤子Fによる方倉設定の修正は作品(大山ドラ)のかなり後期になってから設定整理の必要に迫られ行われたものであったため、それ以前にテレビ朝日で放映されたクイズ大会で問題の底本にされるなど、永らく準公式設定として扱われていた事があった。


そのため、どこぞのトーク番組あたりで堂々と方倉設定を公式設定のように披露してドヤ顔をする芸能人がいたりするが、時に下手にこれをするとコアなファンから方倉設定(しかも藤子Fによる修正済設定)である事を指摘されて大恥をかいたりするので注意を要する。(ただしファンは方倉設定に対しても「作品の歴史のひとつ」として敬意を払う事を常としており、近年は公式側も「方倉設定を信じてしまった初期ドラ世代への配慮」から両方を拾い上げる向きがある)


関連イラスト

のんきくん

しうぼのうほま


関連タグ

まじかるハット 藤子不二雄

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