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朝香宮鳩彦王の編集履歴

2019-10-18 10:56:15 バージョン

朝香宮鳩彦王

あさかのみややすひこおう

朝香宮鳩彦王とは日本の皇族、朝香宮を創始。

概要

久邇宮朝彦親王の第八王子、宮家朝香宮を創始。


プロフィール

続柄久邇宮朝彦親王の第八王子
称号王→皇籍離脱
敬称殿下→皇籍離脱
出生1887年10月20日
死去1981年4月12日
配偶者允子内親王
子女紀久子女王孚彦王正彦王湛子女王
父親久邇宮朝彦親王
母親角田須賀子
役職陸軍大将

経歴

明治20年(1887年)に久邇宮朝彦親王の第八王子として誕生、宮家の朝香宮を創始。明治43年(1910年)に明治天皇の第八皇女の富美宮允子内親王と結婚。鳩彦王は陸軍に入った。明治42年(1909年)に陸軍士官学校を卒業した。同年に陸軍歩兵少尉・近衛歩兵第2連隊を命じられた。大正3年(1914年)に陸軍大学校を卒業、歩兵61連隊中隊長となる。大正11年(1922年)にフランスに留学、翌年に義兄の北白川成久王が自動車で交通事故で薨去し同乗していた鳩彦王も重症を負う。療養のためフランス滞在期間が長かったことでフランス文化に触れ、看病のため日本からきた宮妃と共にパリ万国博覧会でアール・デコを鑑賞したことで深く興味を持つ。その後陸軍少将・中将と昇進し歩兵第1旅団長や近衛師団長や軍事参議官に就任。上海派遣軍司令官として南京攻防作戦に参加。昭和14年(1939年)に陸軍大将。その後太平洋戦争の時に本土決戦に備えた陸海軍の統合を主張・力説をした。昭和22年(1947年)に皇籍離脱をし朝香鳩彦と名乗る。その後GHQから戦犯に指名されるが、戦犯指定は受けなかった。その後熱海の別邸に移り株式投資やゴルフをしていた。昭和56年(1981年)に薨去。


人物

戦後はゴルフ三昧の生活をしていたことでゴルフの宮様として知られた。


系譜

父:久邇宮朝彦親王

母:角田須賀子

妃:允子内親王

第一王女:紀久子女王侯爵鍋島直泰夫人)

第一王子:孚彦王

第二王子:正彦王、臣籍降下し音羽侯爵家を創始。

第二王女:湛子女王伯爵大給義龍夫人)


外部リンク

朝香宮鳩彦王 - Wikipedia


関連タグ

旧皇族 宮家 朝香宮

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