ピクシブ百科事典は2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

目次 [非表示]

概要

久邇宮朝彦親王の第八王子、鳩彦王が創始。宮号は伊勢国の朝香山が由来。


朝香宮鳩彦王

鳩彦王は久邇宮朝彦親王の王子として明治39年(1906年)に明治天皇から朝香宮の宮号を賜られた。明治43年(1910年)に明治天皇の皇女允子内親王と結婚。鳩彦王は陸軍士官学校陸軍大学校を卒業し、大正11年(1922年)にフランスに留学、しかし留学先で義兄北白川宮成久王自動車事故で死亡。鳩彦王は重症を負う、療養のためフランスに留まった。東京にいた允子内親王は急遽フランスに向かった。その後フランスで宮妃と共にアール・デコに興味を持つ、帰国後は近衛師団長・軍事参議官などに就任。その後陸軍大将に就任。第二次世界大戦では本土決戦に備えた陸海軍統合を力説した。昭和22年(1947年)に皇籍離脱。その後熱海に移住し、ゴルフをしていた。戦前からゴルフに熱中していたからゴルフの宮様として知られていた。昭和56年(1981年)に93歳で薨去。鳩彦王と允子内親王には紀久子女王孚彦王正彦王湛子女王がいる。


孚彦王

孚彦王は鳩彦王の第一王子として生まれ、陸軍に入り最終階級は陸軍中佐。皇籍離脱後は朝香孚彦と名乗り、その後カトリック教会の信者になる。妃は朝香千賀子伯爵藤堂高昭の女子)、孚彦と千賀子には冨久子女王誠彦王美仍子女王がいる。


分家

音羽家

朝香宮鳩彦王の第二王子、音羽正彦が創始。爵位は侯爵


外部リンク

朝香宮 - Wikipedia


関連タグ

皇族 宮家 久邇宮

関連記事

親記事

宮家 みやけ

子記事

兄弟記事

コメント

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました