概要
久邇宮朝彦親王の第八王子、鳩彦王が創始。宮号は伊勢国の朝香山が由来。
朝香宮鳩彦王
鳩彦王は久邇宮朝彦親王の王子として明治39年(1906年)に明治天皇から朝香宮の宮号を賜られた。明治43年(1910年)に明治天皇の皇女允子内親王と結婚。鳩彦王は陸軍士官学校・陸軍大学校を卒業し、大正11年(1922年)にフランスに留学、しかし留学先で義兄の北白川宮成久王が自動車事故で死亡。鳩彦王は重症を負う、療養のためフランスに留まった。東京にいた允子内親王は急遽フランスに向かった。その後フランスで宮妃と共にアール・デコに興味を持つ、帰国後は近衛師団長・軍事参議官などに就任。その後陸軍大将に就任。第二次世界大戦では本土決戦に備えた陸海軍統合を力説した。昭和22年(1947年)に皇籍離脱。その後熱海に移住し、ゴルフをしていた。戦前からゴルフに熱中していたからゴルフの宮様として知られていた。昭和56年(1981年)に93歳で薨去。鳩彦王と允子内親王には紀久子女王・孚彦王・正彦王・湛子女王がいる。
孚彦王
孚彦王は鳩彦王の第一王子として生まれ、陸軍に入り最終階級は陸軍中佐。皇籍離脱後は朝香孚彦と名乗り、その後カトリック教会の信者になる。妃は朝香千賀子(伯爵藤堂高昭の女子)、孚彦と千賀子には冨久子女王、誠彦王、美仍子女王がいる。