1935年(昭和10年)12月2日大正天皇第4皇子、澄宮崇仁親王が成年に達したことを受け創設された。
崇仁親王と百合子妃の間は3男2女に恵まれたものの、第1女子・甯子内親王と第2女子・容子内親王は婚姻により皇籍より離脱、2002年に第3男子・高円宮憲仁親王が、2012年に第1男子・寬仁親王が、そして2014年には第2男子・桂宮宜仁親王が薨去。
さらに2016年に崇仁親王が薨去したことで宮家の男性がいなくなったため、将来の断絶が確定している。
2024年11月15日、百合子妃が老衰のため101歳で薨去。