概要
バブル期に利益第一主義へ突き進んで過剰な貸付を続けた足利銀行は、バブルが崩壊すると膨れ上がった不良債権を回収することができず2003年に経営破綻した。そして、国有化された後に野村證券グループの支援によって持ち株会社体制として再スタートを切る運びとなり、2008年に「足利ホールディングス(以下:足利HD)」が発足して国有状態を脱却した。
つまり、足利HDは経営破綻した足利銀行の再建を担うために発足した色合いが強く、組織体力が脆弱ながらも毎年増収を目指す宿命を背負ってスタートしたのだ。2013年に再建を支援した出資者への配当を振り分けるため東京証券取引所1部に上場した動きからも、その涙ぐましい経営再建事情が伺えるだろう。
営業エリア拡大に奔走していた東日本銀行との合併交渉に臨んだのもそうした内部事情を抱えてのことだったが、条件面で折り合わず破談に終わっている。ほどなく、東日本銀行が横浜銀行と経営統合してコンコルディアフィナンシャルグループを発足させる流れとなったが、交渉が破談した足利銀行にとっては経営環境を悪化させかねないバットニュースになったのは言うまでもない。
そのため、足利銀行は北関東一の預金額を持つ常陽銀行に白羽の矢を立て交渉に臨み、常陽銀行主体の持ち株体制に再編することで経営統合の合意にこぎつけた。こうして足利HDは2016年10月1日をもってめぶきフィナンシャルグループ(以下:めぶきFG)に改名され、常陽銀行は自行より総資産が小さな持ち株会社に経営上組み入れられることになった。
めぶきFG発足後はデータサーバーをはじめとする基幹システム統一化などを進めており、収益面でも産業加工機器や商業設備機器などのリース業を柱に手堅い収益源を拡大させつつある。
りそな銀行からの勧誘
足利銀行が常陽銀行との統合交渉に臨んだ時期、都市銀行グループのりそなホールディンクスから経営統合の秋波が送られていた。しかし、足利銀行側はこれを拒否して常陽銀行との経営統合を選択している。具体的な理由は定かではないが、バブル期に無茶な首都圏進出を実行した末に経営破綻している足利銀行にとって、都市銀行傘下に入ることは地元の栃木経済を揺るがしかねないリスクを跳ね上げると判断してのことだと推測される。