概要
1924年に茨城県水戸市で常磐無尽として創業したが、戦後に常磐相互銀行となって茨城から東京に向かう出稼ぎ労働者が大量流出すると追うように本店を東京へ移転。1973年にときわ相互銀行へ商号変更される時期には東京地盤の地方金融機関として完全に機能していた。
平成すぐ普通銀行に転換して東日本銀行に商号変更するが、間もなくバブル崩壊により銀行冬の時代が到来すると倒産した新潟中央銀行の東京支店業務を一部受け入れるなど経営環境が悪化。2005年にはサラ金大手のアイフルが大株主となる受け入れがたい経営策を受け入れるも業績は改善せず、2009年決算では経営健全化計画で設定した利益目標を大きく下回り金融庁から業務改善命令を受けて公的資金が投入される辛酸を味わった。
元国税庁長官のワンマン暴走
サラ金企業が銀行を買収する事態に権力は黙っていなかった。財務局は問題視されていたアイフルのグレーゾーン金利を理由に業務停止命令を発令。アイフルは倒産寸前に追い込まれ、東日本銀行との資本関係も解消される。この権力側による半ば強引なアイフル排斥策の後始末を任されたのが元国税庁長官だった石井道遠氏だった。
頭取に就任した石井氏は経営基盤の強化策として包括地域の拡大論を打ち立てて、アイフル傘下に下ったことにより意気消沈していた東日本銀行の経営陣たちの有無を言わさず足利銀行や八千代銀行との合併交渉を進めた。だが業界でタブーとされたサラ金企業を親会社とした経歴を持つ東日本銀行に手が差し伸べられることはなく合併交渉はすべて白紙となる。そこで石井頭取は理由は違えど同じく合併交渉で憂き目を見ていた地銀の雄、横浜銀行へ狙いを定めて交渉に入り2014年に経営統合の合意にこぎつけた。
こうして2016年4月1日に持株会社コンコルディアフィナンシャルグループが発足。不安定な経営に悩まされていた東日本銀行は潤沢な資金力を持つ横浜銀行を味方につけることに成功した。しかし、東日本銀行は合併交渉と並行して取引企業に根拠不明の貸付を強要して通常より多額の利益を確保しよう図っていた。それが2018年に明るみとなると暴走していた石井頭取だけでなく、不正融資を見抜けなかった責任を取る形でコンコルディアフィナンシャルグループや横浜銀行の経営幹部が総辞職する事態に発展。金融庁から2度目の業務改善命令を受ける羽目となった。
結局、天下り官僚として絶大な権力を国から与えられてアイフルイメージの払しょくに邁進するはずだった石井頭取が暴走の末。強く発言できない東日本銀行の経営陣を黙らせて不正融資を強要させる本末転倒な事態を引き起こした。何やってんだよ!?
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横浜銀行・・・コンコルディアフィナンシャルグループを組む系列銀行