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六角承禎の編集履歴

2020-02-10 20:03:43 バージョン

六角承禎

ろっかくじょうてい

六角承禎とは、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した戦国武将である。

プロフィール

時代 戦国時代 ~ 安土桃山時代
生誕 大永元年(1521年)
死没 慶長3年3月14日(1598年4月19日)
改名 六角義賢、六角承禎(法名)
通称 六角四郎
諡号 梅心院
官位 従五位下左京大夫
幕府 室町幕府近江守護職
氏族 六角氏(宇多源氏佐々木氏流)

概要

大永元年(1521年)に六角定頼の子として生まれた。

父の晩年には共に姉婿にあたる細川晴元を援助して三好長慶と戦っている。天文21年(1552年)に父の死去により家督を相続して六角家の当主となった。

1560年に子六角義治に家督を譲り、六角承禎と号す。

織田信長上洛の折に三好三人衆と結託して迎え撃つも、木下藤吉郎豊臣秀吉)の奇襲により敗北、親子ともども甲賀に逃げのびる。信長包囲網に最後の最後まで加わるも、室町幕府の崩壊、浅井・朝倉連合の壊滅に伴い、完敗を喫する。

信長没後は秀吉の御伽衆として呼ばれていた。享年78歳、意外にも細く長い一生であった。


創作物

殿といっしょ

「六角」なのに顔が五角形(逆五角形ではない)なのがコンプレックスで、「不覚(二角)」を嫌い、「互角」と言う言葉で悩むなどという謎の価値観を持つ。

信長に挑むも1コマで敗北を喫した。


関連タグ

武将 戦国時代 六角義賢 戦国大名 江口の戦い

織田信長 浅井長政

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