『オレは・・誰よりも速いと信じて レースやってんじゃねーのか!!』
CV:神奈延年
概要
元ラリーストの小柏健を父に持つ。健は藤原文太の最大のライバルだったが、大一番のバトルで文太に破れて走りの世界から姿を消し、その後は中学校の教師をしていた。
カイはそんな父親のカートレースで8歳の頃から英才教育を受けた。高校時代にオートバイでいろは坂のコースレコードを塗り替え、自動車の運転免許を取得した後に公道デビューを果たす。初登場時は19歳なので、走りのキャリアは通算で実に10年以上になる。
長年慣れ親しんできたレーシングカート仕込みのテクニックの持ち主で、左足ブレーキに長けている。またカートがミッドシップであるためか、2度の登場でいずれもミッドシップマシン(父親のSW20→自身のZZW30)を操っている。ミッドシップはフロント荷重の不足によりアンダーステアが出やすいが、左足ブレーキで荷重を調整することができるのがカイの速さの秘訣である。
またバイクのシビアな走りを経験した身からすれば四輪はかなり楽なようである。
文太のハチロクの走りをスレ違っただけで只者ではないオーラを感じて震えたり、文太もその一瞬でカイの腕を認めるなど、モータースポーツのキャリアが長いだけあって相応の腕を持っていることが伺える。
口調は多少挑発的で強引なところはあるものの、正々堂々と勝負に挑み、敗北してもなお拓海と握手を交わすほどのさっぱりした性格である。
見た目は短髪で、岩城清次ほどではないが筋肉質の体躯である。
第二部ではプロドライバーとしてデビューしている。プロとしての腕は久保英次曰く、「あまり成績は良くないが、マシンの性能を差し引けば並」とのことであった。
頭文字Dでの活躍
以下ネタバレ注意
日光いろは坂
搭乗車種:トヨタSW20・MR2 G-Limited(NA上級モデル)
車体色:ストロングブルーメタリック
ナンバー:栃木58 か 37-597
藤原拓海との1回目のバトルはエンペラーのホームコースでもある日光いろは坂。父親のSW20で岩城清次に勝利した後須藤京一にも勝利すべく狙っていたところを、父親のライバルの息子である拓海に先を越されたことでターゲットを変更、拓海のアルバイト先だったガソリンスタンドに自ら赴きバトルの申込をする。なお立花祐一はカイの苗字を聞いてすぐに健の息子だと気づいていた。
健はカイが峠を走ることを快く思っていなかったが、相手が因縁のライバル・藤原文太の息子と聞いて秘策を授けた。また息子同士がバトルすることをわざわざ文太に電話で伝えたが、これに文太は負けず嫌いの血が騒ぎ、彼も拓海にアドバイスをすることとなった。
カイは健のアドバイス通り拓海を先行させ、中盤で「インベタのさらにイン」(=坂の高低差を利用し車両自体を空中ジャンプさせる)を使いオーバーテイク。しかし拓海も同じ手をすぐコピーして追いつき、最終区間で文太が教えたアスファルトと地面の段差を用いた溝落としで並ぶ。そのままゴール間近の橋から飛び出してジャンプするが、カイは着地地点にあった落ち葉にステアリングを取られ、スピンし敗北した。
長尾峠
搭乗車種:トヨタZZW30・MR-S S EDITION(前期型スポーツグレード)C-ONEコンプリートカー(ターボ化はせず)
車体色:シルバーメタリック
ナンバー:湘南500 と 56-824
2回目のバトルは神奈川県の長尾峠で、プロレーサーとなり「レーシングチームカタギリ」の一員として皆川英雄とともに登場。なお作中拓海と2度勝負したのは他には高橋啓介と須藤京一だけである。
皆川に「ガキになりきらなきゃ勝てない」と言い残し、愛車のZZW30でさらに磨き上げたテクニックを見せる。高橋涼介をして完全な説明ができないと言わしめる『藤原ゾーン』を見せつけられても執念のスパートで追いつき、バックミラー越しに拓海を驚愕させた。
。しかし最後の最後、プロのカイですら「絶対に無理」と判断するラインで曲がっていく拓海の限界を超えたコーナリングに、プロの意地で同じラインでの突っ込みを試みたが、アウト側にガードレールがないことに無意識に恐怖し、中途半端になってスピン。2度目の敗北を喫した。カイは拓海に「お前はそっち(公道)の世界を極めろ」とアドバイスし、ガッチリ握手して別れた。
このバトルでは健がわざわざ文太のところまで出向き、遠く群馬で息子談義が並行して行われていた。「ウチの息子はサーキットで鍛えられているから絶対に勝てる」「これからはサーキットの時代だ」と自信満々に語る健に、文太もカチンと来て「じゃあなぜお前の息子は今峠でバトルをしている」「サーキットは実際には走れる時間は多くない、だが拓海は配達で毎日秋名を走り込んで鍛えている」と反論していた。しかしカイが敗北したと電話で聞くと、息子とは対照的に健は半ベソかきながら帰っていった。
MFゴースト
ドライバーを引退後、レーシングチーム監督に就任している。同作ではMFGの解説者としての役割がメインとなっている。
かつての好敵手であった拓海のことを口にしたときは涙しているような描写があった。