宗谷(初代)は大日本帝国海軍の保有した二等巡洋艦(防護巡洋艦)。
日露戦争で奮戦したロシア帝国海軍の一等巡洋艦「ヴァリャーグ」を鹵獲し編入したものである。
艦歴
1901年米国のウィリアム・クランプ・アンド・サンズ社にて進水し、翌年に竣工しロシアに回航された。
「ヴァリャーグ」は1904年の日露戦争の勃発時僚艦の航洋砲艦コレーエツとともに朝鮮半島の仁川港にあり、日本海軍の14隻圧倒的不利な状況で仁川沖海戦を戦い大破。ルードネフ艦長はヴァリャーグを敵軍に引き渡すよりも自沈を選んだ。
しかし日本軍はこの艦を引き上げ、「宗谷」の名で自軍に編入。アメリカ式の艦が他になかったことが支障になり、もっぱら練習艦として運用された。小沢治三郎、山本五十六、井上成美らが宗谷での練習航海を経験している。
1916年、第一次世界大戦が始まると本艦はロシアに買い戻され、以前のヴァリャーグの名で、北洋艦隊に旗艦として復帰させられた。修理のため英国のグラスゴー造船所に回航されたのだが、間もなく、ロシア革命が勃発。革命の混乱の中で革命政府が修理費の支払いを拒否したことから英国に接収され、曳航中にアイルランド沖で座礁、その後引き揚げられハルクとして使用されたのち、曳航中にスコットランド沖でまたしても座礁し、その数奇な生涯を閉じた。
遺産
「ヴァリャーグ」は後のソ連海軍のミサイル巡洋艦に名付けられるなど(1963年就役と1989年就役の2隻がある)、ロシア・ウクライナにおいて名誉ある艦名として扱われている。ウクライナの重航空巡洋艦もこの艦名で知られるが完成しないまま放棄され、のちに中国に引き渡され「遼寧」の名で空母として就役した。