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グロリア(日産)の編集履歴

2020/08/18 06:14:20 版

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概要

プリンス自動車とそれを合併で引き継いだ日産自動車が1959年から2004年まで製造販売していた高級セダンである。

車名の由来は、ラテン語で「栄光」を意味する「グロリア」から。

プリンスとしてのブランド及び製造販売は1971年に販売終了した3代目までで、4代目以降は日産の生え抜き車種であるセドリックとは兄弟車になった。そのためセドリックとまとめて呼ぶために「セドグロ」というワードが誕生した。

モデルの駆動方式はいずれもFRまたはそれをベースにした4WDである。

プリンスでは最上級車と位置づけられており、吸収合併されてから1988年のシーマ誕生まではプリンスディーラーの個人客向けの最上級車として位置づけられていた。

歴代モデル

初代(BLSI-P1、BLSI-P2・1959年~1962年)

1957年から製造販売が行われていたスカイラインよりさらに一ランク上の高級車を目指した3ナンバークラスの高級セダンとして1959年に発売された。

そのプロトタイプとなったのは1958年に東京・晴海で開催された第5回全日本自動車ショウ(現在の東京モーターショー)に展示されたスカイライン1900である。

開発期間を短縮する観点から初代スカイライン(ALSI型)とシャシー、ボディーを共用し、その分シートや内・外装を高級化したところに特徴がある。水冷直列4気筒OHV1,862cc GB30型、80㏋エンジンを搭載。

戦後一般発売された日本車では初の3ナンバー車となった(翌1960年まで5ナンバー規格は1,500cc以下だったため)。

その後、1960年2月には4灯式ヘッドランプと2灯式テールランプの採用、1961年2月にはキャブレター変更に伴う出力増強(80㏋→90㏋)やエクステリア細部の変更を実施した。

足回りはフロントがダブルウィッシュボーンコイルスプリング式独立懸架、リアがドディオンアクスルリーフスプリングという初代スカイライン譲りの構成になっている。

発売から約3ヶ月後の1959年4月、当時の皇太子殿下(現在の上皇殿下)に納められている。

2代目(S40系・1962年~1967年)

1962年発売。

ワイド&ロープロポーションの「フラットデッキ」スタイルを持ち、搭載エンジンも従来からの1900㏄直列4気筒OHV90㏋(GB4型改めG2型)になった。

1963年には日本の国産乗用車としては初の水冷直列6気筒SOHC1,988cc105㏋のG7型エンジンを追加。翌1964年にはこのエンジンをベースに排気量・出力を2,484cc・130㏋に増強したG11型エンジンもラインナップに加え、ベーシックグレードのスペシャル(スタンダード)からデラックス、セダン6(スペシャルの6気筒版)、スーパー6、ワゴン6(デリバリーバン)、エステート6(ステーションワゴン)、最高級グレードのグランドグロリアまでに至るワイドセレクション体制を確立させた。

シリーズ初のオートマチック・トランスミッション車が設定されたモデルでもある(1964年岡村製作所製スペースフローを採用。のち1965年米国ボルグワーナー社製に変更)。なお足回りは先代モデルと全く同じである。

1966年にプリンスは日産に吸収統合されるが、製造発売はプリンス社員の手でしばらく行われている。

3代目(A30系・1967年~1971年)

1967年発売。

1960年代のアメリカ製乗用車に触発を受けた独特のスタイリングが、当時皇室御料車として開発され公式採用された「日産プリンスロイヤル」を彷彿とさせるところから「ロイヤルルック」と呼ばれた。特に縦並び4灯式ヘッドランプと縦型テールランプを持つ独特なフォルムとも相俟って「縦目のグロリア(略してタテグロ)」とも呼ばれている。

スタンダード車にはこれまでのプリンス製純血種エンジンだったG2型エンジンに替わって日産製の直列4気筒OHV1,982cc・99㏋H20型エンジンを搭載。スーパー6、スーパーデラックス、バンデラックスには前期並びに中期(PA30系。1967~1969)にはプリンス製純血種の直列6気筒SOHC・G7型エンジンが搭載されていたが、後期(HA30系。1969~1971)には直列6気筒SOHCながらセドリック、フェアレディZと同じ日産製L20型エンジン(105㏋、115㏋の2種類あり)に変更された。

また足回りもフロントは従来通りのダブルウィッシュボーンコイルスプリング式独立懸架なのに対し、リアがこれまでのドディオンアクスルからリーフリジッド車軸固定懸架に変更されて同一クラスのセドリックと共通の構造になっている。

さらにシリーズ後期にはパワーステアリングや電動パワーウインドゥなどの豪華なフル装備を満載したスーパーデラックス・ロイヤルパッケージ(1969年追加発売)が最高級グレードに設定された。のちにこれはスーパーデラックスGLに発展していった(1970年追加発売)。

足回りの変更と同時に歴代初のモノコックボディを採用したりエンジンその他のメカニカルコンポーネンツと装備の共通化を図ったりするなど、製造コストの削減を目指した簡便化が図られたモデルでもある。

4代目(230系・1971年~1975年)

この代以降はセドリックの兄弟車種という位置づけになっている。

しかしながらハードトップ系のボンネットフードのデザインはセドリックとは異なっており、日産の差別化への苦心がうかがわせる物となっていた。

またセドリックには設定されていたステーションワゴンはこちらにはなされていない。

キャッチコピーは「小さなため息が生まれる・・・・・・大きなグロリア」。

広告キャラクターには三田佳子、岡田茉莉子、ジュディ・オング、岸惠子といった女性スター・著名人が起用されており、ここでも男性芸能人を起用したセドリックとの差別化を図っている。

5代目(330系・1975年~1979年)

ボンネットフードのオーナメント(セドリックが単なる十文字に対しこちらはの形をした十文字)とフロントマスクやテールランプのデザインが違う事を除けば、セドリックとほぼ同一である。

キャッチコピーは「アダルトのグロリア」。

6代目(430系・1979年~1983年)

ボンネットフードのマスコットを除けばほぼセドリックと同じで、2代目以来のステーションワゴンが設定された。

セドリックと共に日本車初のターボチャージャーエンジン搭載車となっている。

キャッチコピーは「サイレント・グロリア~グロリアの歴史は高級車の歴史~」。

広告キャラクターには米国を代表する世界的プロゴルファー、ジャック・ニクラスが起用されている。

7代目(Y30系・1983年~1987年)

先代に引き続きジャック・ニクラスが広告キャラクターを務めた事もあり、先代の後期にセットオプションという形で設定されていたジャック・ニクラスバージョンが1グレードとして設定された。

キャッチコピーは「静かな王国です~新しいV6のグロリア登場~」。

8代目(Y31・1987年~1991年)

セドリックとはフロントマスクに違いが出た。

1989年にはセドリックと共に日本車で初めて5速オートマチック(電子制御式)を採用。

キャッチコピーは「彼は、さりげない贅沢です~きっと、新しいビッグカーの時代が来る~」。

広告キャラクターには女優の前田美波里が起用されている。

 

9代目(Y32・1991年~1995年)

全て3ナンバー化。ボディこそ同一ではあるものの、セドリックが高級車の王道を行くイメージであったのに対してこちらはスポーティーサルーンのイメージであった。

10代目(Y33・1995年~1999年)

基本的には9代目の路線を引き継いでいる。

 

11代目・最終モデル(Y34・1999年~2004年)

先代までのグランツーリスモシリーズのダイナミックさをグロリアの個性とする「1ブランド1モデル」に絞ったグレード展開がなされた。

2004年に注文受け付けと生産を終了、約45年に渡る歴史に幕を下ろした。

後継車種としてフーガが新たに販売を開始した。

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