概要
1959年1月から1971年2月まで、3代にわたってプリンス自動車(→日産自動車)にて製造・販売を行った高級セダンである。1971年2月から製造・販売が行われた4代目以降2004年10月をもって販売が打ち切られる(製造はその前月に打ち切られている)までは日産セドリックのプリンスディーラーバージョンであった。そのためセドリックと十把一絡げで「セドグロ」と呼ばれる事も少なからずあった。ただし、販売期間中にプリンスディーラーが無くなってしまった地域も少なからずあったため、それらの地域では日産サティオ店(日産サニー店の後身)で取り扱っていた。
車名の由来は、ラテン語で「栄光」を意味する「グロリア」から。
モデルの駆動方式はいずれもFRまたはそれをベースにした4WDである。
プリンスでは最上級車と位置づけられており、吸収合併されてから1988年のシーマ誕生まではプリンスディーラーの個人客向けの最上級車として位置づけられていた。
歴代モデル
初代(BLSI-P1、BLSI-P2・1959年~1962年)
1957年から製造販売が行われていたスカイラインよりさらに一ランク上の高級車を目指した3ナンバークラスの高級セダンとして1959年1月26日に発売された。
そのプロトタイプとなったのは1958年11月に東京・晴海で開催された第5回全日本自動車ショウ(現在の東京モーターショー)に展示されたスカイライン1900である。
開発期間を短縮する観点から初代スカイライン(ALSI型)とシャシー、ボディーを共用し、その分シートや内・外装を高級化したところに特徴がある。水冷直列4気筒OHV1862cc GB30型、80㏋エンジンを搭載。
戦後一般発売された日本車では初の3ナンバー車となった(翌1960年まで5ナンバー規格は1,500cc以下だったため)。
その後、1960年2月には4灯式ヘッドランプと2灯式テールランプの採用、1961年2月にはキャブレター変更に伴う出力増強(80㏋→90㏋)やエクステリア細部の変更を実施した。
足回りはフロントがダブルウィッシュボーンコイルスプリング式独立懸架、リアがドディオンアクスルリーフスプリングという初代スカイライン譲りの構成になっている。
発売から約3ヶ月後の1959年4月、当時の皇太子殿下(現在の上皇殿下)に納められている。
2代目(S40系・1962年~1967年)
1962年9月17日発売。ワイド&ロープロポーションの「フラットデッキ」スタイルを持ち、搭載エンジンも従来からの1900㏄直列4気筒OHV90㏋(GB4型改めG2型)になった。
1963年には日本の国産乗用車としては初の水冷直列6気筒SOHC1,988cc105㏋のG7型エンジンを追加。翌1964年にはこのエンジンをベースに排気量・出力を2,484cc・130㏋に増強したG11型エンジンもラインナップに加え、ベーシックグレードのスペシャル(スタンダード)からデラックス、セダン6(スペシャルの6気筒版)、スーパー6、ワゴン6(デリバリーバン)、エステート6(ステーションワゴン)、最高級グレードのグランドグロリアまでに至るワイドセレクション体制を確立させた。なお、グランドグロリアには、宮内庁が特注したホイールベース延長版が存在しており、当時の皇太子殿下が乗り回されていた。
シリーズ初のオートマチック・トランスミッション車が設定されたモデルでもある(1964年6月に追加された岡村製作所製スペースフロー搭載車。のち1965年12月に米国ボルグワーナー社製に変更されたが、件の機器は日産セドリックに採用されていたものだった)。なお足回りは先代モデルと全く同じである。
1966年8月1日にプリンスは日産に吸収統合されてしまった(構想自体1965年5月に発表されてはいた。オートマチックトランスミッションの変更はその一環である)が引き続き製造・発売は行われている。
3代目(A30系・1967年~1971年)
1967年4月1日発売。プリンスが日産に吸収合併された中での開発だったためセドリックへの接近を余儀なくされたモデル。
1960年代のアメリカ製乗用車に触発を受けた独特のスタイリングが、当時皇室御料車として開発され公式採用された「日産プリンスロイヤル」を彷彿とさせるところから「ロイヤルルック」と呼ばれた。特に縦並び4灯式ヘッドランプと縦型テールランプを持つ独特なフォルムとも相俟って「縦目のグロリア(略してタテグロ)」とも呼ばれている。
スタンダード車にはこれまでのプリンス製純血種エンジンだったG2型エンジンに替わって日産製の直列4気筒OHV1,982cc・99㏋H20型エンジンを搭載。スーパー6、スーパーデラックス、バンデラックスには前期並びに中期(PA30系。1967~1969)にはプリンス製純血種の直列6気筒SOHC・G7型エンジンが搭載されていたが、後期(HA30系。1969~1971)には直列6気筒SOHCながらセドリック、フェアレディZと同じ日産製L20型エンジン(105㏋、115㏋の2種類あり)に変更された。
また足回りもフロントは従来通りのダブルウィッシュボーンコイルスプリング式独立懸架なのに対し、リアがこれまでのドディオンアクスルからリーフリジッド車軸固定懸架に変更されて同一クラスのセドリックと共通の構造になっている。
さらにシリーズ後期にはパワーステアリングや電動パワーウインドゥなどの豪華なフル装備を満載したスーパーデラックス・ロイヤルパッケージ(1969年追加発売)が最高級グレードに設定された。のちにこれはスーパーデラックスGLに発展していった(1970年追加発売)。
足回りの変更と同時に歴代初のモノコックボディを採用したりエンジンその他のメカニカルコンポーネンツと装備の共通化を図ったりするなど、製造コストの削減を目指した簡便化が図られたモデルでもある。
1971年2月に製造・販売終了。プリンス「純正」のグロリアはこの代で絶えた。
4代目(230系・1971年~1975年)
この代以降は日産セドリックのプリンスディーラーバージョン(いわゆる兄弟車)と化した。しかしながらハードトップ系のボンネットフードのデザインはセドリックとは異なっており、日産の差別化への苦心がうかがわせる物となっていた。
またセドリックには設定されていたステーションワゴンはこちらにはなされていない。
キャッチコピーは「小さなため息が生まれる・・・・・・大きなグロリア」。
広告キャラクターには三田佳子、岡田茉莉子、ジュディ・オング、岸惠子といった女性スター・著名人が起用されており、ここでも男性芸能人を起用したセドリックとの差別化を図っている。
5代目(330系・1975年~1979年)
ボンネットフードのオーナメント(セドリックが単なる十文字に対しこちらは鶴の形をした十文字)とフロントマスクやテールランプのデザインが違う事を除けば、セドリックと同一になってしまった。
キャッチコピーは「アダルトのグロリア」。
6代目(430系・1979年~1983年)
ボンネットフードのマスコットを除けばほぼセドリックと同じ。そしてこの代では2代目以来のステーションワゴンが設定された。
セドリックほぼ同じだった事もあり、セドリックと共に日本車初のターボチャージャーエンジン搭載車となっている。
キャッチコピーは「サイレント・グロリア~グロリアの歴史は高級車の歴史~」。
広告キャラクターには米国を代表する世界的プロゴルファー、ジャック・ニクラスが起用されている。
7代目(Y30系・1983年~1987年)
相変わらずボンネットフードのマスコット違いのセドリックではあったが、先代に引き続きジャック・ニクラスが広告キャラクターを務めた事もあり、先代の後期にセットオプションという形で設定されていたジャック・ニクラスバージョンが1グレードとして設定された。
キャッチコピーは「静かな王国です~新しいV6のグロリア登場~」。
8代目(Y31・1987年~1991年)
フロントマスク違いのセドリックではあったが、この代に設定されたグランツーリスモは、セドリックにも設定されていたはずなのに、こちらのイメージが強くなった感は否定出来ない。スカイラインを扱うプリンスディーラーで販売されたからか?
1989年にはセドリックと共に日本車で初めて5速オートマチック(電子制御式)を採用。
キャッチコピーは「彼は、さりげない贅沢です~きっと、新しいビッグカーの時代が来る~」。
広告キャラクターには女優の前田美波里が起用されている。
なお、後述の9代目に移行後もセダンのみこの代が継続生産されたが、日産の車種統合政策などもあり、1999年7月に生産、翌8月に販売が打ち切られた。
9代目(Y32・1991年~1995年)
先述の通りセダンは8代目のままとなッた事もあり、4ドアハードトップのみの設定となった上、「全車」3ナンバーに移行。ボディこそ同一ではあるものの、セドリックが高級車の王道を行くイメージであったのに対してこちらはスポーティーサルーンのイメージが与えられている。
10代目(Y33・1995年~1999年)
基本的には9代目の路線を引き継いでいる。
11代目・最終モデル(Y34・1999年~2004年)
先代までのグランツーリスモシリーズのダイナミックさをグロリアの個性とする「1ブランド1モデル」に絞ったグレード展開がなされた。
2004年9月に注文受け付けと生産を終了、セドリックとの統合車種に当たるフーガにバトンを渡す格好で約45年に渡る歴史に幕を下ろした。