6421系
ろくせんよんひゃくにじゅういちけい
本項では本形式の譲渡車である大井川鉄道420系についても記述する。
概要
当初、近畿日本鉄道では名古屋線と大阪線・山田線系統のレールの幅が異なっていたため(名古屋線は1067mmで大阪線系統は1435mmの標準軌)、直通運転ができない状況にあったため、それぞれの規格に合った車両を投入してきた。
1947年に名阪特急が運転を開始した頃は戦前製の車両を整備して投入することになったが、戦後復興が進むにつれて新造車の導入が望まれるようになった。ここで誕生したのが大阪線用の2250系と名古屋線の本系列である。
主要諸元
6421系は制御電動車6両と制御付随車5両の計11両が投入された。製造当初の主要諸元は以下の通りである。
沿革
当初の予定通り、伊勢中川駅までの特急運用の主力となった。また、1957年には他社に先駆けて車内冷房、公衆電話、ラジオ受信機が取り付けられている。冷房搭載についてだが、2両1ペアで改造を進めたため、半端となる1両は先に登場したク6561を改造したサ6531とペアを組んで行われた。
1959年には名古屋線の改軌に伴い、モ6526以外の台車交換が行われ、近畿車輛製もしくは日本車輌製の円筒案内式の台車となった。改軌後は運転区間が宇治山田まで延長されている。
しかし、1960年以降10100系やエースカーが増備され、本形式の運用の幅は徐々に狭まり、1963年の11400系増備に伴い全車が特急運用を外れた。
特急運用を外れた後は冷房装置の取り外しや3ドア化が行われて一般車化された。その後、標識灯の角型2灯化が行われ、1969年には前照灯がシールドビーム2灯化されている。
1979年には養老線(現:養老鉄道)に転属し、養老線の近代化を図った。1984年には千の位の6を形式から取り除いて420系となったが、1994年までに運用を外れ廃車された。
廃車後は大井川鉄道に2両だけが譲渡されている。