本項では本形式の譲渡車である大井川鉄道420系についても記述する。
概要
当初、近畿日本鉄道では名古屋線と大阪線・山田線系統のレールの幅が異なっていたため(名古屋線は1067mmで大阪線系統は1435mmの標準軌)、直通運転ができない状況にあったため、それぞれの規格に合った車両を投入してきた。
1947年に名阪特急が運転を開始した頃は戦前製の車両を整備して投入することになったが、戦後復興が進むにつれて新造車の導入が望まれるようになった。ここで誕生したのが大阪線用の2250系と名古屋線の本系列である。
主要諸元
6421系は制御電動車6両と制御付随車5両の計11両が投入された。製造当初の主要諸元は以下の通りである。
車体
近鉄四日市駅付近に当初存在した半径100mカーブ(1956年に解消)の関係で2250系より1m短い19m車体を採用したが、2250系と同様に張り上げ屋根、埋め込み前照灯、車端部2ドア配置の形態となった。
機器
主電動機は115kWのものを採用。駆動方式はツリカケ駆動とした。歯車比は2.07で制御方式は多段式の抵抗制御である。
台車
ペデスタル式の台車を履くが、最終増備車のモ6426のみ円筒案内式の台車を履いている。
なお、その後の増備は改良型とも言うべき6431系によって行われた。
沿革
当初の予定通り、伊勢中川駅までの特急運用の主力となった。また、1957年には他社に先駆けて車内冷房、公衆電話、ラジオ受信機が取り付けられている。冷房搭載についてだが、2両1ペアで改造を進めたため、半端となる1両は先に登場したク6561を改造したサ6531とペアを組んで行われた。
1959年には名古屋線の改軌に伴い、モ6526以外の台車交換が行われ、近畿車輛製もしくは日本車輌製の円筒案内式の台車となった。改軌後は運転区間が宇治山田まで延長されている。
しかし、1960年以降10100系やエースカーが増備され、本形式の運用の幅は徐々に狭まり、1963年の11400系増備に伴い全車が特急運用を外れた。
特急運用を外れた後は冷房装置の取り外しや3ドア化が行われて一般車化された。その後、標識灯の角型2灯化が行われ、1969年には前照灯がシールドビーム2灯化されている。
1979年には養老線(現:養老鉄道)に転属し、養老線の近代化を図った。1984年には千の位の6を形式から取り除いて420系となったが、1994年までに運用を外れ廃車された。
廃車後は大井川鉄道に2両だけが譲渡されている。
大井川鉄道420系
モ421とク571の2両は大井川鉄道に譲渡され、同社の420系となった。塗装は旧近鉄特急色とされたが、それ以外の装備はそのままとなった。2005年以降は16000系の導入などによりツリカケ駆動の旧型車の淘汰が急速に進み、本形式が大井川鉄道最後のツリカケ駆動の非冷房車となった。そのため、末期は予備車となり、2009年5月22日をもって運用離脱した。
運用離脱後は2012年に千頭駅で開催された部品即売会で本形式から取り外された一部部品が販売された。その後、車両自体は2016年に廃車解体されて現存しない。これをもって本系列は形式消滅となり、大井川鉄道のツリカケ電車は全廃となった。