安国寺恵瓊
あんこくじえけい
概要
毛利家に外交僧として仕え、長宗我部家の外交僧でもある滝本寺非有(谷忠澄の弟)と共に「一対坊主」と称された。
ちなみに呼称の「安国寺」は自身が住持した安芸安国寺(不動院)から来ているが、他にも東福寺、南禅寺など複数の寺の住持になっている他、建仁寺、方丈寺、霊仙寺といった寺院の再興にも力を注いでいる。
生涯
天文8年(1539年)に安芸武田氏の一族・武田信重の子として生まれる。幼名は「竹若丸」。
しかし、天文10年(1541年)に毛利元就の攻撃で安芸武田が滅びると、幼い竹若丸は家臣の計らいで脱出し、安芸安国寺に入れられ出家する。
その後、京都東福寺の竺雲恵心の弟子となり、恵心が毛利家と親交があったことが縁となり、毛利家の外交僧となる。
毛利家と豊臣秀吉との交渉窓口として活躍し、後に秀吉の側近として取り立てられ、四国征伐後に伊予国和気郡に2万3,000石の知行を獲得し、九州征伐後はさらに6万石に加増される。
慶長5年(1600年)「関ヶ原の戦い」では西軍に属し、主君・毛利輝元を総大将として担ぎ出すことに成功するが、密かに徳川と内通していた吉川広家により毛利軍の参戦を阻まれ、結局戦闘に参加することなく西軍は敗北。敗戦後は広家に諭され逃亡するが最終的に捕縛され、石田三成らと同じく西軍の首脳格として六条河原で斬首・晒し首に処せられた。
人物
秀吉とのパイプ役を期待されてか諸大名から多くの寄進を受けていたため大きな経済力を有し、大名もしくはそれに準じる勢威を誇った。
調略面で活躍したため、一般に腹黒い参謀僧というイメージを持たれがちであり、それゆえネット上では「暗黒寺AK」「暗黒JK」などと呼ばれている。
創作作品における恵瓊
『鬼武者』シリーズ
味方キャラクターの一人。通称・エケイ。
でっぷりとした体格の巨漢で、仏門の身でありながら酒と女と食べ物に目が無い。
端的で喧嘩っ早い性格だが、快活で人懐っこいところもあり不思議と憎めない性格。対照的な性格のマゴイチとはソリが合わずよく喧嘩をしているが、『タクティクス』ではなんやかんやで共闘する機会の多い凸凹コンビとなっている。
専用武器は槍。「宝蔵院流槍術」の使い手を号する。
初期装備の月形十字槍は従来の十字槍とは異なる笹穂の槍身となっている(代わりに石突の部分に十字の装飾が施されている)。
他にも、飛び道具として札を使用したり「南無三」の掛け声とともに結界を張ったりと、僧侶らしい技も使用する。