概要
本名:柴田吾郎。
男前な顔つきと180cmの高身長という恵まれた容姿、そして人物像を選ばない幅広い役作りを得意としたことで、学習院大学大学在学中から大映入り。
以降、様々な映画に出演しては知名度を上げた。
1960年代後半には大映のトップスター扱いされるようになり、映画界で地位を確立したものの、田宮自身の増長もあり後に大映との軋轢が生じ、映画界を追放されてしまう。
しかし田宮はただでは転ばず、1969年に放送開始したクイズ番組『クイズタイムショック』の司会者に抜擢されると、映画とは異なる親しみやすいキャラクターと巧みな話術を披露。
お茶の間のシンボルとして親しまれるようになり、更に同年には東映から映画に再出演し、再起を遂げた。
1970年代にはテレビドラマへも頻繁に出演するようになる。
1978年放送の『白い巨塔』では主役の財前五郎役に抜擢される。
田宮は財前の人物像を非常に気に入っており、役作りに一段と熱を上げていた。
これは、名前が自身の本名と同じ「ごろう」であったことも影響していた。
しかし、この頃から躁うつ病で精神的な安定を欠き、更に金銭トラブルや奇行の噂が絶えなくなる。
物語終盤になると鬱がひどくなり、無理を押しての撮影となった。
『白い巨塔』はなんとか撮影を完了したが、あまりにも財前役に入れ込み過ぎたせいでモチベーションを失い、虚脱感に苛まれていたという。
また、同年には体調不良を理由に『クイズタイムショック』の司会を降板した。
1978年12月28日、自宅で散弾銃を使って自殺を遂げた。43歳没。
『白い巨塔』が世間の注目を集めていたこともあり、田宮の死は衝撃的なニュースとして扱われた。
家族
特に田宮五郎は容姿、言動共に父の面影を色濃く受け継いでいたが、くも膜下出血により47歳でこの世を去った。