概要
徳島県北部に伝わる妖怪で、寛政年間に書かれた『阿州奇事雑話』の記述によると、夜更けに厩や牛小屋に侵入して牛馬を傷つけ、死に至らしめる。
また見入られただけで病になり、板野郡栄村(板野町)の伝承では傷が小さくても猛毒を持つために助からないといわれ、殺すのは血を吸うためで死んでいた牛馬には2本の牙の跡が残されていたという。
姿については不鮮明であるが、徳島県のある四国は化け狸の本拠地といわれ、全ての怪異は狸と関連付けられるので、牛打ち坊も黒い狸のような姿であったとも記述される。
牛々入道、牛飼坊、疫癘鬼という別名でも呼ばれ、かつて出没したとされる板野郡、名東郡、名西郡、海部郡では、旧暦7月13日になると、十代前半の少年達が近隣の家から竹や藁を寄付してもらい盆小屋という小屋を造って、7月14日に読経の後に燃やして牛打ち坊を焼き殺す儀式が行われた。
このとき寄付を怠った家に対して少年達は、「ウシウシ坊を追いかけ、おかいこべったり味噌べったり」という呪文を唱えて、儀式の際に燃やしたナスを投げ込むとされ、その家の牛馬は3日以内に死に至るという。
そのため寄付を惜しむものはいなかったとされる。
また佐那河内村では旅の僧によって調伏されて「二度とこの地には来ない」とわび証文を書いたとされ、その証文は大宮八幡神社裏の大宮山に埋められたので、この地は「状が丸」と呼ばれるようになり、後に「上が丸」という地名になった。