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セ・リーグ

せりーぐ

日本野球機構に属するプロ野球リーグの一つ。正式名称は日本プロ野球組織 セントラル・リーグ運営部。

2020年よりJERAがスポンサーとなりJERAセ・リーグとなった。スポンサー名を関するのはNPB

所属球団

1950年のセントラル・リーグの創設時には8球団が所属していたが、その内の2球団は他の球団との合併で消滅しており、1953年以降は6球団が残り現在に至っている。

球団名創設年度優勝回数(※1)通算勝率(※1)
読売ジャイアンツ1934年36.575
阪神タイガース1935年5.504
中日ドラゴンズ1936年9.523
東京ヤクルトスワローズ1950年7.466
横浜DeNAベイスターズ1950年2.445
広島東洋カープ1950年8.481

かつて存在した所属球団

球団名創設年度解散年度優勝回数(※1)通算勝率(※1)
西日本パイレーツ(※2)1950年1950年0.376
松竹ロビンス(※3)1950年1952年1.512

補足

  1. 勝率は1950年~2017年のセ・リーグ公式戦およびセ・パ交流戦の成績。優勝回数は2017年まで。
  2. 1951年シーズン前にパ・リーグ所属の西鉄クリッパース(現:埼玉西武ライオンズ)に合流。
  3. 1953年シーズン前に大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)に合流。

順位の決め方

クライマックス・シリーズが始まった2007年からは以下の順番で順位を決める。

  1. 勝率の高い順
  2. 勝利数の多い順
  3. 勝率・勝利数で並んだチーム間の対戦勝率が高い順
    1. 勝率・勝利数で3チーム以上が並んだ場合、チーム間の対戦勝率の合算が高い順
    2. 合算した対戦勝率で並んだチーム間の対戦勝率が高い順
  4. 前年度の順位

2015年には、勝率と勝利数で3チーム以上が並んだ場合の順位の決め方が追加された。

2000年以前は勝率の高い順に順位を決め、勝率が最も高いチームが並んだ場合にのみプレーオフで優勝を決める形式だった。

2001年には勝利数が多い順で順位を決めていた。勝利数1位と勝率1位のチームが異なる場合に3戦2勝制のプレーオフで優勝を決める形式だった。

2002年に順位の決め方を勝率の高い順に戻した。勝率3位以内に勝利数1位のチームが複数いた場合に3戦2勝制のプレーオフで優勝を決める形式だった。

ただし上記のルールによるプレーオフは2006年まで一度も行われなかった。

歴史

1950~59 リーグ発足と6球団化

日本野球連盟分裂騒動によって誕生したリーグは8球団体制を敷いたが、早くも西日本・広島が経営難に陥っていた。このためこの2チームを整理する構想が浮上した。西日本はパ・リーグ西鉄クリッパース(⇒西鉄ライオンズ、現:埼玉西武ライオンズ)に合併し消滅したが、広島は存続。これにより7球団となり、1952年には同年の勝率3割未満の球団に処罰を下す取り決めが定められた。だがこの年に勝率3割を切ったのは広島ではなく松竹で、松竹は大洋と合併し消滅した。大洋は大洋松竹と名を改め、本拠地を下関から大阪に移転したが、数年後球団名を大洋に戻すとともに本拠地を川崎に移転している。

リーグ自体は当初から巨人が圧倒的に強く、1950年(松竹)、1954年(中日、日本一も達成)以外は全て優勝した。

1960~69 栄光のV9

そんな強い巨人だったが、特に1965~1973年には空前絶後の9連覇(V9)を達成する。リーグのみならず日本シリーズにも全て勝っての9連覇である。同時期にテレビが家庭に普及し、親会社が保有するテレビ局が巨人戦を放映することで知名度も大きく上昇。長嶋茂雄王貞治といったスーパースターの登場も手伝い、「プロ野球と言えば巨人」の図式がここに完成した。

一方関西圏では巨人のライバルとして存在していた阪神が同様にテレビ中継の波に乗り人気球団になったが、V9期間中は手も足も出せず、1962・1964年に優勝するも日本シリーズにはいずれも敗れている。

なお、1960年に大洋が初優勝・初日本一を果たしている。

1970~79 V9終焉と赤ヘル

1974年に中日が優勝し、巨人の連覇記録が途絶えると、他球団の新勢力が一気に興隆し、1強時代が崩れていった。中でも強力だったのは赤ヘルこと広島で、1975年に初優勝を果たし、1979年には初の日本一に輝いた。低迷続きだったヤクルトも1978年に初優勝・初日本一を達成。これで現行6球団全てのチームが優勝を経験した(日本一は阪神のみ未達成だった)。

一方の巨人は1974年以降1976・1977年と連覇はするものの80年まで日本一になれず、1975年には球団初にして唯一(2020年時点)の最下位に転落した。

なお、1978年に大洋が横浜大洋と名を改め、本拠地を川崎から横浜に移転。これ以降2020年に至るまでセ・リーグ球団が本拠地となる市区町村を移転した事例はない。

1980~1989 広島の躍進、阪神の日本一

広島の快進撃は続き、10年間で3度の優勝、2度の日本一を達成。巨人も同様の成績を残した。

そして1985年、日本シリーズはおろかリーグ優勝からも見放されていた阪神が久々に優勝し、悲願の初日本一を達成。ここに現行6球団全てが日本一を達成した。

しかし、時は西武黄金時代。同時期に西武が出場した日本シリーズは6戦中1勝5敗とコテンパンにやられてしまっていた。

なお、この時期ヤクルト・横浜大洋は完全に蚊帳の外に置かれていた。

1990~1999 ヤクルト黄金時代、阪神暗黒時代

阪神が暗黒時代に突入。同期間に最下位6度、Aクラスは1992年の1度だけ(更に言えば1987年~2001年まで15年間で最下位10度)という見るも無残な成績に終わった。

そんな中、阪神以外の5チームは同期間に1度はリーグ優勝を果たしており、中でもヤクルトは優勝4度、日本一3度という大躍進を見せた。同期間に巨人は優勝こそ3度達成するものの日本一には1度しかなれなかった。横浜大洋から改名した横浜も上位争いに加わるようになり、1998年には久々の優勝および日本一を達成した。

なお、阪神の陰に隠れたが広島も後期には成績が低迷していった。

2000~2009 巨・神・中の争い、横浜暗黒時代

初頭こそ巨人・ヤクルト・横浜の争いだったが、2003年に阪神が暗黒時代を脱出し優勝すると、以降巨人・阪神・中日による熾烈なペナントレースが繰り広げられた。1位と2位の差が僅か1・2勝という年もあったほどである。

クライマックスシリーズが導入され、2007年の中日が初めて2位から日本シリーズに出場し、そのまま日本一も達成した。

一方横浜は阪神以上とも言われる絶望の暗黒時代に突入。2002年に最下位に転落すると以降7度の最下位(暗黒時代は2015年まで続き、14年間で最下位10度)を記録。唯一3位を記録した2005年すら負け越しており、1度も勝ち越しできないままに終わった。

2010~2020 広島の復活、パ・リーグとの実力差

後期に広島が完全復活を果たし、初のリーグ3連覇を達成。巨人以外でセ・リーグ3連覇以上を達成したのは広島が初である。その巨人も2012~14年に3連覇を果たしている。

一方ヤクルトは10年間で最下位4度を記録した……が、2015年には一転優勝を果たしている。また中日も2012年を最後に優勝争いに絡めず、下位に甘んじるようになってしまった。

だが、この10年間で日本シリーズに勝てたのは2012年の巨人のみで、クライマックスシリーズのおかげで全球団が1度は日本シリーズに出場できたものの、2013年以降全て敗退という、屈辱的な結果に終わってしまった。

2020年には新型コロナ感染症の流行による開幕時期の延期や無観客試合と過去に例を見ない混乱に陥った。

2021~ 波乱の幕開け

2021年もコロナの影響を引きずる形でシーズンが始まり混迷を極める中、近年成績が振るわなかったヤクルトがリーグ優勝し、オリックスとの日本シリーズを制して日本一に輝いた。

関連タグ

プロ野球 パ・リーグ

ナショナル・リーグ MBLでのセ・リーグ

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