McLaren(マクラーレン)は、イングランド サリー州に本拠を置くレーシングチーム・コンストラクター(車体メーカー)であり、一グループを形成するコングロマリットである。
グループ企業に乗用車メーカーのMcLaren Automotive、技術部門のMcLaren Electronic Systemsなどを擁する。
概要
1963年、クーパーからF1に参戦していたニュージーランド人F1レーサーのブルース・マクラーレンが有志とともに設立。
1960年代はF1とCan-Am(北米スポーツカーレース)に参戦した。特にCan-Amではデニス・ハルムとともに無敵の4連覇を達成し、一躍名を挙げた。またF1でもマクラーレンはオーナー兼ドライバーとして優勝を飾り、ハルムは年間ランキングで2位に食い込んだ。
またマクラーレンはフォードのワークスチームのドライバーとしてもル・マン24時間に参戦し、1966年に総合優勝をしている。
そんな感じで順調であった矢先、1970年にブルースがテスト中の事故で死亡してしまう。チームは解散の危機に直面するが、片腕的存在だったテディ・メイヤーが引き継いで継続させた。
1970年代にはCART(現インディカー)にも参戦し、3度優勝を飾っている。
初のF1ドライバーズチャンピオンは、1974年DFVエンジン全盛時代のエマーソン・フィッティパルディによるものであった。
1984年にTAGポルシェ、そして1988年にホンダエンジンの供給を受けて、ニキ・ラウダやアイルトン・セナ、アラン・プロストといった名ドライバーも合わせて黄金時代を迎えた。
その後も順当にタイトル争いを続け、1998・1999年にミカ・ハッキネン、2008年にルイス・ハミルトンがチャンピオンを獲得。しかし2010年代以降はタイトルから遠ざかっており、2015年にマクラーレン・ホンダの名を復活させるも技術的・組織的紛糾により失敗に終わっている。
2007年にはスパイ事件により、コンストラクターズポイントを剥奪されるという事件も起きた。
2017年からはF1と並行してインディ500に参戦したフェルナンド・アロンソをきっかけに、現地チームとのジョイントという形でインディカーに復帰している。
世界3大レース(モナコGP、インディ500、ル・マン24時間レース)の全てを制覇したことのある、メルセデスと並んで数少ないコンストラクターの1つである。
またグループ内のマクラーレン・エレクトリック・システムズは、F1の共通ECUやフォーミュラEの電装部品を供給している。
このように一流企業としての技術力を誇るが、自チームでパワーユニットを内製できないため、どちらかというとワークスよりプライベーターの括りに入れられやすい。
McLaren Automotive
前身となるMcLaren Carsは1990年に設立。
翌年に発表された最初のロードカー「McLaren・F1」は、当時最も高出力の乗用車で、1995年にはプライベーターの運用により、日本人で初めて関谷正徳がル・マン24時間を制覇したマシンにもなった。
2003年からはメルセデス・ベンツの「SLR McLaren」の開発・生産を手掛ける。
2009年に現在のMcLaren Automotiveが設立され、2011年からは同社初のモデルである「MP4-12C」の生産が始められ、GT3車両としても活躍した。
ハイパーカーにも参入し、かつてチームに在籍したアイルトン・セナの名を戴く「セナ」を開発している。
武井壮、高嶋ちさ子らはマクラーレン製スーパーカーの愛好家として知られる。
余談
イギリスには同名のベビーカーメーカーが存在するが、綴りが微妙に違う(MacLaren)。