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東郷平八郎の編集履歴

2022-03-03 22:12:25 バージョン

東郷平八郎

とうごうへいはちろう

日清・日露戦争を指揮した日本海軍元帥・提督。

概要

生没年:1848年1月27日〜1934年5月30日


薩摩藩士・東郷実友の四男として誕生。

薩英戦争で藩士として初陣を果たし、戊辰戦争にも従軍。明治維新後は海軍士官としてイギリスに留学し、国際法などを学んだ。


日清戦争で艦長となり、黄海海戦などで活躍。日露戦争では連合艦隊旗艦である三笠に乗艦、当時最強とうたわれたロシア帝国のバルチック艦隊を日本海海戦で完膚なきまでに打ちのめし、日本の勝利に貢献した。「陸の大山、海の東郷」・「東洋のネルソン」と呼ばれ、国内外で英雄として尊敬された。


日露戦争後はその功績から元帥に列せられ、裕仁皇太子(後の昭和天皇)の教育のために設立された御学問所の総裁も務めている。


一方で晩年は、皇族で軍人であった伏見宮博恭王とともに「宮様と神様」として祭り上げられ、その権威を笠に着る大艦巨砲主義の若手将校に担がれ軍縮に反対するなど、悪い意味で海軍内に影響を及ぼす一面もあった。


1934年5月30日、病により86歳で死去。


死後、東京都渋谷区と福岡県宗像郡津屋崎町(現福津市)に「東郷神社」が建立され、神として祭られた。陸軍軍人の乃木希典を祭る「乃木神社」に対抗したものでもあったが国民の尊敬対象であったことも建立を後押ししたといえる。ただし東郷本人は、将来自身を祭る神社の設立計画を生前に聞いており、そのさいに「やめてほしい」と強く反対していたという。


関連タグ

日露戦争 バルチック艦隊 丁字戦法

ジョン・ポール・ジョーンズホレーショ・ネルソン…世界三大提督

薩摩藩

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