概要
大牧場を営む家の生まれ。苦労人で、現在では珍しい高卒ジョッキーであった。
1957年に騎手デビューし、1960-70年代にかけて栗東の騎手として活躍、繊細な手綱さばきと理にかなった確実な騎乗から「ターフの魔術師」と称され、福永洋一とはよく比較された。また関西騎手ながら当時としては珍しく関東馬も多く騎乗し、今の特定の厩舎に所属しないフリーランス騎手の先駆けとなった。
1984年にムチを置き調教師に転身、2009年に定年引退するまで20数年にわたって厩舎を構えてバンブーメモリーやメジロベイリーなどを手掛けた。
私生活では結婚後4名の男子に恵まれ、三男の豊は80年代末に騎手となり30年以上にわたり活躍中、四男の幸四郎も90年代に騎手となり後に調教師になっている。
他の騎手・調教師との関係
騎手時代の晩年に所属していた武田厩舎の弟弟子に河内洋がおり、彼は邦彦から影響され騎手として大成し、のち調教師となった。息子である豊もまた武田厩舎の弟弟子であり、河内から影響を受けて騎手として大成した。
- 河内洋
前述のとおり、武田作十郎厩舎の弟弟子。邦彦が調教師として手掛けた代表馬の一頭バンブーメモリーは何度か河内が騎乗していた。
- 福永洋一
騎手時代にリーディングを競い合った仲である福永洋一だが、洋一の息子である祐一は父の代からの縁で武豊・幸四郎兄弟とは旧知の仲。今では幸四郎の管理馬に祐一が騎乗することもある。
邦彦が調教師になって富雄の息子・典弘がデビューした後は典弘を管理馬14頭に乗せており、メジロベイリーの朝日杯も典弘の騎乗だった。典弘自身は邦彦は「(調教師になってからも)ジョッキー」気質だったと語っている。
データ
出身地 | 京都府京都市出身、北海道函館市生まれ |
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生没年 | 1938-2016(享年77) |
所属 | 栗東 |
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