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湯川専務の編集履歴

2022-11-16 11:50:23 バージョン

湯川専務

ゆかわせんむ

本名、湯川英一(ゆかわ ひでかず)。ドリームキャスト発売当時、株式会社セガエンタープライゼスの専務執行役員を務めた。

セガなんてだっせーよな!!!!


概要

もともとはCSK(現在はSCSK)というコンピュータシステム会社の社員であり、セガがCSKの傘下に入ったことで出向という形でセガとの関係を持つようになる。その後一旦引き上げたが、再び出向し、1998年に専務取締役・コンシューマ事業統括本部副統括本部長に就任した。


ドリームキャストの一連の自虐的なCM(※この時のプロデューサーは秋元康。当時セガエンタープライズの社外取締役を務めていた)に出演したことが有名。一時は日本で一番有名な専務として知られるほどにもなった。

ちなみにメガネはCM出演の際のキャラクター作りの伊達眼鏡であり、実生活ではかけていない。大阪出身のために普段は関西弁で、CM出演で標準語を話すのに苦労をしていた。


素の人物像は名越稔洋曰く「豪快で明るい方」とのこと。大企業重役が自社製品のプロモーション等で登場するのは珍しい事ではないのだが、ここまで徹底した役作りを行うのは異例と言える。


その後、ドリームキャストが製造上のトラブルで出荷台数が大幅に低下したことを受けて、責任を取る形で専務から降格して「元専務」(常務)となり、人事発令から4日後にはこれをネタにするCMも放送された。しかし、実際には製造トラブルは本人とあまり関係がない部署の責任であり、「話題作り」という向きが強かったと見られる。

CMへの出演こそなくなったが、セガの役員として開発・流通に携わり、セガの社員やファンからも愛される存在であった。

1999年には『湯川元専務のお宝さがし』というゲームが発表(ネットを利用したキャンペーンのための非売品扱い)されている。


なお、湯川氏は「専務」時代で苦い思い出があったらしく(いわゆる「有名税」の洗礼を受ける形で迷惑を被った)、それ以降はあまり振り返りたくはなかったらしい。


どんなCM?

※因みにこのCMはソニーの商標である「プレステ」という言葉を用いるため、ライバル会社でもあったソニーから許諾を得ている。


実はドリームキャストが初めてのCM出演ではなく、その前の1980年代(セガがCSKグループ傘下になった後)にロボピッチャやテレビおえかきのCMにお父さん役として出演していた。


ちなみに、プロモーションの一環として、1998年11月25日には『Dreamcast』という楽曲で歌手デビューも果たしている。プロデュースは秋元康。


退社後の動向

セガ退社後はCSKに復帰し、CSK取締役、日本カードセンター(後のクオカード)社長、会長とCSKグループ企業の要職を歴任。また、同社から独立した人物が立ち上げたビジネスエクステンションの会長、べリザーブの取締役にも就任していた。


経営者を引退した後は、2009年11月に株式会社ニュウジアのPR大使として中国語を普及させるため、格安中国語会話レッスン『iChina.jp』にて活動していたことがある。

同サイトとのマネジメント契約は2010年11月で終了していて、それ以降は長く消息はつかめていなかったが、2022年6月になって2021年6月に誤嚥性肺炎で死去していたことが明らかになった。

訃報が最初に報じられた『週刊女性PRIME』の記事によれば、数年前から体調を崩していたこと、また「静かに送りたい」という家族の意向もあってお世話になった人にだけ連絡し、CSKにも連絡していなかったことが元部下という人物によって語られている。実際、報道を受けて元セガ社員である中裕司が「知らなかった」とコメントしており、セガの関係者にも周知されていなかったと見られる。


外部リンク

『iChina.jp』公式サイト内「帰ってきた湯川専務」

wikipedia


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