その日、セガ・エンタープライゼス 専務 湯川英一は驚くべき町の声を耳にした……
子供達
「セガなんてだっせーよな!!!!」
「プレステの方が面白いよなぁ!」
専務「そうなのか!?……なんてこった。」
…このCMに印象に残った当時のセガファンもかなりいるのではないだろうか。(後述)
概要
もともとはCSK(現在はSCSK)というコンピュータシステム会社の社員であり、セガがCSKの傘下に入ったことで出向という形でセガとの関係を持つようになる。その後一旦引き上げたが、再び出向し、1998年に専務取締役・コンシューマ事業統括本部副統括本部長に就任した。
ドリームキャストの一連の自虐的なCM(※この時のプロデューサーは秋元康。当時セガエンタープライズの社外取締役を務めていた)に出演したことが有名。一時は日本で一番有名な会社員として知られるほどにもなった。
ちなみにメガネはCM出演の際のキャラクター作りの伊達眼鏡であり、実生活ではかけていない。また大阪出身のために普段は関西弁を話しており、CMでは標準語を話すのに苦労をしていたとのこと。
素の人物像は名越稔洋曰く「豪快で明るい方」とのこと。
またメイキング映像でインタビューを受けた社員からは、「正義感があって頼もしい」「(たまに怒ると怖いが)普段は冗談ばかり言っている面白いおじさん」などといった、CMとはギャップのある一面を披露されていた。
大企業重役が自社製品のプロモーション等で登場するのは珍しい事ではないのだが、ここまで徹底した役作りを行う熱の入れようは異例と言える。
その後、ドリームキャストが製造上のトラブルで出荷台数が大幅に低下したことを受けて、責任を取る形で専務から降格して「元専務」(一般企業でいう常務)となり、人事発令から4日後にはこれをネタにするCMも放送された。しかしこの製造トラブルは、実際には本人とあまり関係がない部署の責任であり、一連の降格〜謝罪CMは「話題作りのための洒落」という向きが強かったと見られる。
CMシリーズの終了後はメディアへの露出こそなくなったが、変わらずセガの役員として開発・流通に携わり、社員のみならずファンからも長らく愛される存在であった。
1999年には『湯川元専務のお宝さがし』というゲームが発表(ネットを利用したキャンペーンのための非売品扱い)されている。
なお湯川氏自身は、ドリームキャストの売り上げや知名度の向上と引き換えに苦い思い出を沢山味わった事もあってか(いわゆる「有名税」の洗礼を受ける形で迷惑を被った事が多々あるらしい)、「専務」時代の事はあまり振り返りたがろうとしなかったとか。
どんなCM?
※因みにこのCMはソニーの商標である「プレステ」という言葉を用いるため、ライバル会社でもあったソニーから許諾を得ている。
実はドリームキャストが初めてのCM出演ではなく、その前の1980年代(セガがCSKグループ傘下になった後)にロボピッチャやテレビおえかきのCMにお父さん役として出演していた。
ちなみに、プロモーションの一環として、1998年11月25日には『Dreamcast』という楽曲で歌手デビューも果たしている。プロデュースは秋元康。
退社後の動向
セガ退社後はCSKに復帰し、CSK取締役、日本カードセンター(後のクオカード)社長、会長とCSKグループ企業の要職を歴任。また、同社から独立した人物が立ち上げたビジネスエクステンションの会長、べリザーブの取締役にも就任していた。
経営者を引退した後は、2009年11月に株式会社ニュウジアのPR大使として中国語を普及させるため、格安中国語会話レッスン『iChina.jp』にて活動していたことがある。
同サイトとのマネジメント契約は2010年11月で終了していて、それ以降は長く消息はつかめていなかったが、2022年6月になって2021年6月に誤嚥性肺炎で死去していたことが明らかになった。
訃報が最初に報じられた『週刊女性PRIME』の記事によれば、数年前から体調を崩していたこと、また「静かに送りたい」という家族の意向もあってお世話になった人にだけ連絡し、CSKにも連絡していなかったことが元部下という人物によって語られている。実際、報道を受けて元セガ社員である中裕司が「知らなかった」とコメントしており、セガの関係者にも周知されていなかったと見られる。
外部リンク
関連動画
関連タグ
- ロボピッチャ(CMにて出演)
- ドリームキャスト(CMにて出演)
- シェンムー(隠れキャラとして出演)
- ネプテューヌシリーズ(「超次元ゲイムネプテューヌ THE ANIMATION」のBlu-ray/DVD告知CM ver.2とver.3がドリームキャストのCMが元ネタとなっている。
- 異世界おじさん(「異世界おじさん」のcmの元ネタと為っている。)