概要
1940年10月9日生まれ、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン出身。
1962年にニューヨーク・ヤンキースへ入団しプロ入り。2年目にレギュラー入りを果たすとクリーンアップを任されるようになり、また一塁手としてゴールドグラブ賞も3回受賞している。
が、1967年以降成績が低下、自身の元からの素行不良も重なりヒューストン・アストロズ、シカゴ・カブス、アトランタ・ブレーブス…と所属球団を転々とした。
1973年シーズン途中、当時打線が低迷していたヤクルトアトムズとの契約に合意し入団。大物メジャーリーガーの日本球界入りで野球ファンは熱狂した。
初出場した試合で決勝打を打つなどの活躍し、ヤクルト球団は同年6月30日を「ペピトーンデー」として女性・子供ファンが無料入場できるようにした。が、素行不良は相変わらずでダブルヘッダー第2試合で欠場。9月には治療名目で無断帰国してしまう。
2年契約のため1974年シーズンのプレーも予定されていたが、オープン戦に入っても期限までに連絡がなく来日せず3月に解雇となった。NPBでは14試合のみの出場でホームラン1本にとどまった。
NPB史上最悪の助っ人
成績面もさることながらとにかく素行に問題があった。
- 欠場理由が「日本のマンションが小さすぎて頭ぶつけた」。
- 来れば来たで「スパイク忘れた」。
- 離婚調停のために無断帰国
- 赤坂のクラブで遊んでいる所を目撃される
- 元同僚のクリート・ボイヤー(のちに横浜大洋ホエールズに所属、こっちは優良外人)との電話代を請求。
- 2年目に「犬の空輸代金をくれ」。
…で、帰国後も素行の悪さがアメリカ国中にばれて事実上のプロ生活引退へ追い込まれた。以降も薬物、拳銃不法所持、婦女暴行、飲酒運転などで警察に捕まっている。
ヤクルト契約解除当時の日本の野球ファンは、ペピトーンのことをダメ男の代名詞として笑いの種にしていたほどであった。
また、彼1人のせいで「大物メジャーリーガーをNPBから排除しよう」というガチの国際問題が発生。結局、MLB側から「赤鬼」ことチャーリー・マニエルをヤクルト球団へ譲渡してもらえることになり、超優良助っ人として彼は活躍した(まあ、こっちのイメージのが強いかもしれんが)。
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メル・ホール こっちもメジャーリーグで鳴らしたが素行面に問題が多く、そして帰国後逮捕されたつながり。彼のかつての同僚は好人物として名高いのに……。