概要
チャールズ・フークア・マニエル(Charles Fuqua Manuel, 1944年1月4日 - )。
1963年ミネソタ・ツインズと2万ドルで契約。1969年にメジャー初昇格。1974年にロサンゼルス・ドジャースに移籍。
1976年1月27日に正式にヤクルトスワローズへ入団。
1977年は若松勉・大杉勝男とともに強力クリーンアップを形成し、打率.316(リーグ10位)、42本塁打、97打点と活躍。
1978年には打率.312、39本塁打、103打点をあげて外野手のベストナインを獲得するなど、ヤクルトのリーグ初優勝・日本一に貢献。しかし、機動力・守備力を重視する広岡達朗監督からの評価は低く、交換トレードで近鉄バファローズに移籍した。
1979年、打率.324を記録、37本塁打で本塁打王を獲得し、近鉄のリーグ初優勝に貢献。指名打者としてベストナインを獲得するとともに、MVPにも輝いた。
1980年は打率.325(リーグ5位)、48本塁打、129打点で本塁打・打点の二冠を獲得、近鉄をリーグ連覇に導く。オフの契約更改で複数年契約を要求したが、単年契約を呈示した球団と折り合わず、1981年1月8日付で自由契約となった。
1981年1月14日に1978年以来3年ぶりにヤクルトへの復帰が決まった。マニエルは開幕から打撃不振にあえぎ、1982年1月22日に自由契約が決定して退団し、帰国した。
引退後
主にMLBで監督・コーチとして大活躍した。中でもクリーブランド・インディアンスで打撃コーチ時代1995年にはワールドシリーズに導いた。2008年には、フィラデルフィア・フィリーズで監督としてナショナルリーグ優勝を果たし、チームをワールドシリーズに導いた。
インディアンス時代に指導を受けたジム・トーミは2018年にアメリカ野球殿堂入りを果たした際に「マニエル監督がいなければ今の僕はいなかった」とマニエルへの感謝を語っている。
2013年8月12日には監督としてMLB通算1000勝を達成した。
監督・コーチ歴(23年時点)
クリーブランド・インディアンス (1988 - 1989, 1994 - 2002)
フィラデルフィア・フィリーズ (2005 - 2013, 2019)